オオカミになった羊(後編49)by クレーン謙

──アヌビス族との作戦会合を終えたアセナがゲルに戻ると、ソールが目を覚まし静かに鼻歌を口ずさんでいました。ソールの隣では、まだ小さいアンジェリアがそれを聴いてます。
アンジェリアは、すっかりとソールに懐いているようでした。
昔、オオカミ族には歌を歌う習慣がなかったのですが、アセナの父ミハリが羊村から『歌』を持ち帰り広めたと言います。
しかしソールのその歌はアセナが今まで聴いた事のない歌でした。
オオカミ族は月を讃える歌か、狩りと戦いの歌しか歌わないのです。

「ソール、なんだいその歌は? 」

ソールは悲しそうな顔をアセナの方に向け、小声で言います。

「アセナ、私、夢の中で黄泉の国の入り口へ行っていたのよ。そこにアリエスがいたわ。アリエスは死んでしまったの……。『天使』にも会ったわ。『天使』がこの歌を教えてくれたの。これを歌えば、何にでも姿を変える事が出来るって」

黄泉の国の入り口へソールが行ったというのにも驚きましたが、アリエスが死んだのを聞きアセナは衝撃を受けます。故郷から逃亡し、どこへも行く当てがなかったアセナとソールを匿ってくれたのはアリエスなのですから。
アセナはアリエスが作ってくれた温かいスープの味を思い出し、少し涙ぐみます。
しかしオオカミが涙なんかを流せば、家来からの信頼をなくしてしまいます。
アセナは涙をぐっとこらえて、ソールに言いました。

「そうか、アリエスが……。きっと、アリエスはこの世での使命を果たしたんだよ。アリエスが無事に黄泉の国へたどり着けるのを祈っているよ。僕たちも自分の使命を果たさないとね。こんな事はやりたくはないけど、アンジェリアを使ってヘルメスをおびき寄せるんだ。そしてヤツを捕らえ、戦を終結させる。ヘルメスは僕がアンジェリアを捕らえているのを知ってる筈だから、彼は必ず兵を率いここへやってくるだろう」

そのように語るアセナを、ソールは複雑な面持ちで見ています。
アセナには分かっていました。いくら戦を有利にするためとはいえ、子羊を人質にするのはソールは内心納得をしてはいない、という事を。勿論アセナとて、このような残忍な行いをやりたくはないのでしょう。
決断を下すに至って、アセナはようやく父ミハリの指導者としての大変さを理解しました──そう、時によっては、指導者はとても冷酷な決断をしなければならないのです。

ゲルの外からアセナを呼ぶ声がしました。
アセナがゲルの外に出ると、羊村に偵察に行っていた斥候オオカミが戻ってきており、息を切らせていました。
アセナを見るとひざまづきながら、斥候オオカミが告げます。

「アセナ様!羊村から一個師団が出撃し、こちらへ向かっております!恐らくは、羊村通商大臣ヘルメスが率いている師団ではないかと……。鎧で完全武装しており、各羊兵、最新式の銃を携えております」

「フン、そうか……ヘルメスは商売羊だ。だから戦い方を知らない。重装備さえしていれば、僕らに勝てると思い込んでいるんだろうね」

アセナはゲルの周囲に集結していたアヌビスの戦士達を見回し、そして皆に聞こえるように言いました。

「アヌビスの戦士達よ、いよいよ戦いは最後の局面を迎えた!アヌビスの戦士はオオカミよりも強い史上最強の剣士だと聞く。君達にかかれば、羊兵の一個師団など取るに足らない相手だろう。敵は重装備をしている。きっと敵は銃を手に、最後の最後まで戦い抜くだろう。なので、やむ得ない、一匹残らず討ち取れ! ……ただし、羊村通商大臣ヘルメスは生け捕りにせよ!必ず、ヘルメスだけは生かして捕らえるのだ! 」

アセナの揺るぎない語り口を聞き、アヌビスの戦士達は剣と弓矢を掲げ、ウオーン、ウオーン、と闘志を鼓舞する遠吠えをあげました。
不安そうなソールを横目に、アセナは月神剣と弓矢を手にして、アヌビス兵達の先頭に立ち号令をかけ、そして気配を殺しながら羊村へと向かう森の中へと進軍していきました。
夜空には、生きとし生けるものを見下ろすようにして、下弦の月が静かに照っています。
ソールは普段は太陽神にしか祈りを捧げないのですが、この時ばかりはアセナの無事を願い、月に向かって祈りを捧げました。

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かつての幼なじみ、ミハリ率いるオオカミ族を討つ為、羊村村長ショーンはメリナ王国軍全軍五千匹の羊兵を率いメリナ王国の王都バロメッツを後にし、オオカミ族が占領するヴィーグリーズの谷へと向かっていました。
最初、羊兵達はショーンの事を『田舎羊』と言い見下していたのですが、ショーンには優れた統率力がある事が分かり、それだけではなく、まるでオオカミのように敵の気配を読む術が備わっているのを知り、次第に羊兵達はショーンに従うようになりました。

ショーンは行軍を続ける隊列の中央で馬にまたがりながら、軍を二手に分けてオオカミ族を挟み撃ちにする作戦を練っていました。しかし、ショーンには、ミハリがこんな小手先の軍事作戦で陥ちる相手ではないのは重々承知していました──子供の頃に敵との戦い方を教えてくれたのは、他ならぬミハリなのですから。
ショーンは考えます。

(俊敏さでは、我ら羊よりも遥かにオオカミの方が優っている。……それだけではなく、敵は一発で二十匹も消せる銃も持っている。我らの軍が圧倒的に数が多いとはいえ、相手はあのミハリだ。ミハリは恐らく私の思考を読んでいるだろう。ここは慎重に作戦を練らねば……)

実はというとショーンはオオカミ族を討つのは気が進まなかったのですが、しかし羊村の民を守る為にはやむ得ないと腹をくくっていました。
ショーンは幼い頃、アセナと野山で戦ごっこをして遊んでいたのを思い出し、ため息を一つつきます。
まさか、本当の戦で敵同士となり、対面するとはあの頃は想像もしなかったのです。
迷いを断ち切るように、ショーンは手綱を強く握りしめ、大隊長達に命令を出しました。

「先に囮の部隊を差し向けよ! 三個師団一千匹だ! なるべく、軍の数を少なく見せて敵を油断させるのだ!囮の部隊に敵が食いついたら、それを重装備部隊で挟み撃ちにして、反撃の間を与えず、一気に殲滅するのだ! 敵にあの銃を使わせてはならぬ! 」

――――つづく

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