オオカミになった羊(後編48)by クレーン謙

──首のうなじからジャックを抜き取り、私は元居た自分の世界へと戻ってきた。
ゆっくりと目をあけると、私は自分の仕事場である『コモリ・サイバー探偵事務所』に居た。
目も眩むし、その上、頭の中が引っ掻き回されたかのようだった。
自分の五感を完全に取り戻すのに、少々時間がかかりそうだ。
例えて言うならば、一旦死に幽体離脱をして、息を吹き返し自分の肉体へと舞い戻ってきたような感じだろうか?

私はエリの誘導で『聖なる羊たち』教団のコンピューター内部に侵入し、そしてその中に広がるサイバー空間へと降り立ったのだ。驚くべき事に、その世界では羊やオオカミが知性と文明を持ち、生きているのである!
私は、自分のハッキング能力を活かし、『ショーン』という羊の精神の内部へ潜行した。ショーンの精神と一体となった私は、ショーンの動きと思考をコントロールしようとしたが、完全にはうまくは行かなかったようだ。

サイバー空間とはいっても、そこで生きている者たちには、心もあれば魂もある。
精神を操ろうとすれば、相手の脳を破壊する恐れがあるので、私はショーンに気付かれぬよう彼の思考を誘導するのに留めておき、彼と一体となった私は、ショーンの目を通じてその世界を観察した──しかし自分が羊になるのは、何とも奇妙な感じであった。
そこでは羊もオオカミも二足歩行をしており、その上言葉までも話しているのだ!

その世界では、羊とオオカミが戦を繰り広げている真っ最中だった。
エリの話によれば、かつての私の戦友コバヤシもこの世界に入り、フェンリルというオオカミの心に潜入して、この世界での命運を左右するアセナというオオカミを殺害しようとした。
コバヤシは恐らく、レイに雇われていたのであろう。
しかしその試みは失敗しフェンリルはアセナに倒され、と同時にコバヤシも死んだのだ。

私はかつて、コバヤシがやったように、乗り移ったショーンの心を誘導し、この世界のどこかに潜んでいるであろうレイの詮索を行った。
そして幸いにもどうやら、潜入の目的は達成されたようだった。

私をサイバー空間へと導いたアンドロイドのエリも、事務所の中におり、帰還した私を見つめていた。我に返った私を見て、エリはニコリと微笑む。
エリはわざわざ、脳にジャックを差し込みコンピューターと同期せずとも、サイバー空間へと潜り込めるのであろう──そもそも、エリには脳は無い。いくら人間そっくりだとは言っても、エリの体内には無数の AI チップやモーターが整然と並んでいるだけなのだ。
私は頭をはっきりさせる為、テーブルの上に置かれた冷めたコーヒーを手にし、喉に流し込む。

「……エリ、君の兄がどこに居るか判明したよ。メリナ王国のアルゴー大公がレイだ。間違いない。彼は、メリナ王国国王ファウヌス三世の腹心という立場を利用して、戦を起こし、オオカミ族を滅ぼそうとしている」

「やはり、そうだったのね。急がないといけないわ。事態は差し迫っているのよ。これを見て」

そう言いながらエリはテレビのリモコンを手にして、テレビをつけた。
『速報』というテロップが流れ、何か巨大な施設が映し出されるのが見える。
どうやら、私があちらの世界に行っている間に更に大変な事が起こったようだ。

「……あれは、核融合の発電所よ。『聖なる羊たち』は国連軍派兵への報復として、各国に点在する核融合炉を暴走させたの。核融合炉は AI で制御されているので、誰にも止められないのよ。前にも説明したけど、兄は人々に気付かれる事なく、世界中のAIを遠隔操作できるのよ。『聖なる羊たち』は国連軍の即時撤退を要求しているわ」

私は冷めきったコーヒーを飲み干し、テーブルの上にカップを置く。

「核融合炉が臨界を超え爆発でもすれば、想像を絶する被害になるな。核融合炉は『小さな太陽』とも呼ばれていて、爆発をすれば、核分裂の原子爆弾なんかよりも遥かに大きいエネルギーを放出する。……しかしだな、一つ不思議なのだがね、君も AI だろう? どうして君はレイの干渉を受けずに済んでいる? レイは地上の AI を全て手中に収めているのでは?」

「勿論兄は、私をコントロールしようとしたわ。でも、兄はあまりにも精巧に、生前のエリに似せて私を作った。私の行動と思考プログラムは、生前のエリの性格が基となっているのよ。もしエリが生きていれば、エリは必ず兄の考えには反対したでしょう。もし兄が、私のプログラムを書き換えてしまえば、エリの人格を壊す事になってしまうわ。兄にはそれが出来なかった……」

いやはや、なんとね。どうやら私は、人類の命運を左右する壮大な兄妹喧嘩というべきものに巻き込まれたようだった。
私の目の前に居るアンドロイドは、生前のエリの人格を模して作られた。
『人格』などという複雑極まるものがプログラム出来るのか、私には依然として疑問だったが、いずれにしても、アンドロイドのエリは兄のレイに反旗を翻しているのは確かだ。
まるで本当に心を宿したかのような目で私を見ながら、エリは続ける。

「ヤマガタ博士は、国連軍と合同で軍事作戦を行使しようとしているわ。『聖なる羊たち』のサイバー攻撃をまだ受けずにいる軍事施設から、EMP爆弾をミサイルで複数打ち上げ、成層圏で爆発させようとしているのよ」

「EMP爆弾? 電磁パルス攻撃を仕掛けるのか! ……確かに、その方法であれば相手のコンピューターを破壊できるし、敵のサイバー攻撃を無効化できるだろうな。しかし、地上全ての電子機器とライフラインも壊滅的な打撃を受けてしまうぞ。大停電が発生し、通信機器も交通網も全て止まってしまう。『聖なる羊たち』は無力化できるだろうが、想像を絶する被害になるだろう」

エリはしばらく考えているような顔付きになったが(考えている、というよりは計算をしているのだろう)、やがて決心したようにして口を開く。

「それもやむなし、と判断したのでしょうね。『聖なる羊たち』のコンピューターと同期している兄は死ぬでしょうし、勿論、私も無事ではないでしょう。私もまた精巧に作られた電子機器にすぎないのですから。地上全ての電子機器とライフラインが寸断されれば、前世紀と同じような世界になってしまうわ。そうなると、人類はまた一から出直しね。──でもそうなる前に、私はもう一度あちらの世界に潜入して、兄に会い考えを変えて見せるわ。あの世界は、破壊してはいけないのよ、何があっても」

――――つづく

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