幻の名作と出会う
1994年ごろだ。ぼくは板橋区の図書館で『ぼくの鳥あげる』を読んだ。ちょっと類例のない種類の感銘を受けた。佐野洋子さんの作品の中でも特別のものだと感じた。すぐ欲しいと思ったが当時すでに書店では見つからず、古本屋をまわってようやく手に入れた。1984年フレーベル館刊行の初版第1刷だった。
その後長く、重版または復刊されないかと待ち望んでいたが、一向にその気配はなかった。そもそも『ぼくの鳥あげる』を知る人はとても少なかった。ぼくは2000年ごろから絵本の仕事を始めたので、児童書に詳しい知り合いは一気に増えた。児童書の作家、編集者、絵本専門店の店主などに聞いてみたが、それでも知らない人の方が多かった。そして知っているわずかな人たちの反応は一様に熱かった。よくその本の話をしてくれたと手を取り合うような感じだった。
なぜこれほどの名作が埋もれているのか? 佐野洋子作品なのに。当時はまったくわからなかった。
復刊ドットコムというサイトがある。2000年にスタートした絶版書を復刊するためのサイトだ。復刊してほしい本への投票を募り、一定数が集まると復刊へ向け様々な働きかけをしてくれる。実際にここからよみがえった本は多く、児童書ジャンルに限っても『ビビを見た』(大海赫)、『はせがわくんきらいや』(長谷川集平)などきわめて重要な作品がある。
ぼくは2006年に復刊ドットコムで『ぼくの鳥あげる』に1票を投じた。この時点でぼくが5票目だった。一定数の目安は100票といわれていたからまあとても遠いなあと思ったのは覚えている。しかし、それにしても、2014年にひさしぶりに復刊投票ページを見たときの衝撃は忘れられない。5票で変わっていなかったのだ。8年間投票なし!
このときだ。「誰かやってくれないかな?」ではダメなことが身に沁みてわかった。同時にこうなったら自分でやろうという思いがふつふつと湧いてきた。
☆ ☆ ☆ ☆
2014年10月、表参道の老舗書店山陽堂書店で『パリのおばあさんの物語』(スージー・モルゲンステルヌ・作)の原画展があった。担当編集者の千倉真理さんから情報をうかがい、翻訳された岸惠子さんと画家のセルジュ・ブロックさんのサイン会に参加した。
『パリのおばあさんの物語』はフランスの絵本からの翻訳で、会場にはフランス語の原書も置いてあったのだが、これが日本版とあまりにも違うので驚いた。日本版は小型で完全に大人向けの雰囲気に作られているが、原書は大判の見るからに子ども向けの絵本だった。
2冊を見比べると、千倉真理さんの意図がとてもよくわかった。原書は子ども向けだが、千倉さんはその中に大人にこそ伝えたいメッセージを読みとり、日本では大人向けの本として紹介しようとしたのだ。同じ文章と同じ絵を使いながら、判型やレイアウトを大胆に変えることで、まったく新しい本に生まれ変わらせている。
ひらめくものがあった。『ぼくの鳥あげる』がなぜ売れなかったのか、知られていないのか、わかった気がした。
内容と外見があっていないのだ。
児童書出版社であるフレーベル館から1984年に出た『ぼくの鳥あげる』は、表紙デザインがいかにも子ども向けで、本文文字はとても大きく、さらに裏表紙に「小学校中学年向」と書かれている。
しかし、内容は明らかに大人向けだ。大人向けか子ども向けかは文章の長さや使われている言葉の難しさで決まるわけではない。味わうためにどれだけの人生経験を必要とするかで決まる。
『ぼくの鳥あげる』はある程度の人生経験を要求する作品なのに、大人が自分のために手に取ることはまずありえないデザインで世に出てしまった。
それがあまり知られることなく世の中から消えてしまった原因だろう。ほかに考えられない。
山陽堂を出て地下鉄で帰りながら、ぼくの頭にあったのはこういうことだった。
『ぼくの鳥あげる』をそのまま復刊してはいけない。もっとも届けたい読者に届けるためには、大人向けにデザインを改める必要がある。
(by 風木一人)
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