世界一大きな猫はどのくらい大きいのか?
子どものころ読んだ本に、世界一大きな犬はセントバーナード、世界一小さな犬はチワワと書いてあった。でも世界一大きな猫と世界一小さな猫のことはどこにも書いていなかった。だからこの絵本を作ることにした(本当か?)。
世界一大きな猫はどのくらい大きいのか? 誰だって興味があるだろう。
大きめの犬くらいか? いやいや、もっと大きい。
ライオンくらいか? いやいや、もっと大きい。
ゾウくらいか? いやいや、もっともっと……って、そんなわけあるかい!
こういう絵本をナンセンス絵本という。あるわけないことをしれっとあるかのように語る。絵本の主流ではないけれど、けっこう人気のある1支流くらいのジャンルだ。
以前ある町で講演をしたときに、「ナンセンス絵本には何の意味があるのか?」と質問された。その人はナンセンス絵本を否定しているわけではなく、好きなのだが、仲間とやっている読み聞かせグループ内では孤立しているというのだった。もっと「ためになる」絵本を読めとの同調圧力を感じていると。
ははあ、なるほど。
わかる気がする。ぼくも絵本について「何の意味があるのか」とか「何の役に立つのか」とか言われると、鼻白むというか、この人とは合わないなあと感じてしまうところがある。
絵本を読んで親子で楽しい時間を過ごせれば、それだけで充分「意味」があるんじゃないの?と思っているからだ。
でもそれではその方のちからになれなそうだったから、「ナンセンス絵本は役に立つ!」という話をした。何に役に立つかというと、「想像力の境界を広げるのに」だ。
人はみんな違う。顔も違うし、背丈も違うし、好きなものも違うし、嫌いなものも違う。感じ方も考え方も違う。
でもだからといってまるでわかりあえないわけではない。
それは想像力があるからだ。あなたとぼくは違う人。でもあなたが感じていることがちょっとはわかる。想像力を使って、もしぼくがあなただったらと考えれば、あなたがしてほしいこと、してほしくないこと、ちょっとはわかる。
自分と似た人になってみることは比較的容易だ。自分とぜんぜん違う人になってみることは難しい。より想像力を必要とする。
どこまで想像できるか? 遠い国のこと。遠い時代のこと。遠い立場のこと。
他人を傷つけないために、自分を守るために、大勢の人がいっしょに暮らすために、必要なのは想像力だ。
絵本はもともと想像力に訴えるものであり想像力がまったくない人は楽しめない。その中でもナンセンス絵本は別格だ。常識が吹き飛ぶようなトンデモナイことが描いてあるだけに、特大の想像力を要求する。
想像力も筋肉と同じで、きたえれば伸びる。デカいことをくりかえし考えればよりデカいことが考えられるようになってくるし、遠いことをくりかえし考えればより遠いことが考えられるようになってくる。そういうものだ。
ナンセンス絵本を楽しむことで想像力の境界が広がる。読む前は想像できなかったようなことが想像できるようになる。それはきっと自分とは異なる人たちを理解するためにとても大きな「意味」がある。
――そんなようなことを話した。質問した人は「これからも自信をもってナンセンス絵本を読みます」と言ってくれた。うれしかった。
本当はあたりまえのことなんてない
ナンセンス絵本とはあたりまえでないことが描いてある絵本だが、本当はあたりまえのことなんてほとんどないのではないかとぼくは思っている。
日本のあたりまえは海外に行くと多くの場合あたりまえじゃないし、現代のあたりまえは100年前はあたりまえじゃなかったし、たぶん100年後にもあたりまえじゃない。常識なんて、ほんの今ここだけで限定的に成立しているちっぽけな共通認識に過ぎないのだ。
守備範囲をせまくとってその中でだけ考えているとどんどんその中のことしか考えられなくなる。想像力の境界がどんどんせまくなっていく。
日常でトンデモナイ行動をするといろいろ問題が生じるが頭の中くらいはもっと自由でいいだろう。いや、もっと自由でなければいけないだろう。
大きな猫、と言われて、がんばっても体重10キロくらいの猫しか想像できないようでは困るのだ。もっともっともっともっと大きな猫を想像してほしい。
「あなたの世界の大きさはあなたの想像力の大きさに等しい」のだから。
(by 風木一人)
※この絵本のヒントは愛猫ムギにもらった。そのことは今度ムギのブログの方で書こう。
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