なにわぶし論語論第61回「片言もって獄を折め可き者は」

子曰く、片言(へんげん)、以(も)って獄(ごく)を折(さだ)め可き者は、其(そ)れ由(ゆう)か、と。子路(しろ)、諾(だく)を宿する無し。 (顔淵十二)

子曰く、訟(うった)えを聴くは、吾(われ)猶(なお)人のごとし。必ずや訟え無からしめんか。 (顔淵十三)

――孔子は「一言一句、それを聞いてすぐにでも判決を下す能力があるのは、由君(子路のこと)だな」と言われた。子路は、承知した後でグズグズするようなことはなかった。――

――孔子は言われた。「訴えを聞いて、判断することにおいては、私(の能力)は、まあ人並みだ。(人と違うことがあるとすれば)訴訟が起こらないようにすることだろう。」――

前半と後半は、独立した章(顔淵篇第十二章と十三章)として扱うのが常識のようだ。だが、この2章はまとめて読む方が面白いと思う。
まず前半、孔子が子路の迅速な訴訟処理を高く評価する。後半では、自分について語り、「私の訴訟処理能力は人並みだ」と言う。謙遜しているのかな、と思うと、その後「(政治家として)訴訟が起こらないように努力する」と続ける。
このようにまとめて読めば、孔子が言いたかったのは、後半部分で、その導入として前半で一旦子路を褒めておいたのではないかと思える。(その前半にしても、褒めているようではあるが、「片言」をもって判決を下すと言うのは本当に良いのか疑問である。)

子路は孔子のお気に入りの弟子である。その弟子が官僚として偉くなっている。師匠の孔子としては、嬉しくもあり、また見ていて歯がゆいこともあるだろう。だが、現役の官僚である子路のやることに、師匠とはいえ孔子があれこれ指図するのは筋違いである。子路の面子も潰れるだろう。そこで、まず子路を褒めて、ついでに自分の経験談を語る形で意見を言ったのではないだろうか。

(by みやち)

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