電車 居眠り 夢うつつ 第26回「AI?」

これからはAIの時代になるのだそうだ。
今年の正月の日経新聞でも、大々的にAIの特集を組んでいた。普段日経など読まないのに、たまたま駅の売店で買った日経にそんな特集が載っていたので、私は内心大変喜んだ。これで私にも、AIとは何かがわかるに違いない。
が、私の期待はあっけなく裏切られた。数ページにわたるAI特集の中に、AIとは何かを説明した記事は、一つもなかったのである。
では、日経に何が書いてあったかというと、AIの登場によって産業がどう変わるかとか、雇用にどのような影響がありそうか、ということだった、と思う。
正直に言えば、何が書いてあったかほとんど覚えていない。なにしろ、「AIが何なのかわかる」という期待が裏切られたことのショックが大きすぎたのだ。

テレビのニュース解説を見ても、AIとは何かを説明はしてくれない。AIについてよく語られるのは、多くの職業がAIに奪われるということである。
でも、ちょっと待てよ、と思う。AIが人間の仕事を「奪う」というのはおかしくないだろうか。
AIがハローワークに行って、「仕事をください」と自分を売り込むとでも言うのか? 企業の説明会にAIがスーツを着てやってくるとでも言うのか? AIは人間の仕事を奪ったりはしない。人間である経営者が、AIの導入を決め、従業員の雇用を決めるのだ。
「AIが仕事を奪う」と言うと、まるでAIが意思を持っていて、人間である経営者は意思を持たずにAIに従っているだけのようだ。このような表現は、悪い未来予想(雇用がなくなる)を、正体のわからない不気味なやつ(誰もAIとは何なのか説明してくれない)のせいにして、責任の所在を曖昧にするだけなのではないだろうか。

AIに何ができないか、素人の私にも一つだけ確信をもって言うことができる。責任をもって決定すること。AIがどんな計算をしようが、どんな予測をしようが、決定し、その決定に責任を負うのは、人間である。

そのほか、AIについてよく語られるのは、AIは「予測」はできても「理解」はできないとか、感情に関わることはできない、と言うことである。
では、相手が「理解」をしているかどうかを、我々はどうやって理解できるのだろう? 「理解しているなら、こういう行動をするはずだ」という予測に合った行動をするかどうかで判断するのではないか。だとしたら、AIだって同じような予測はできるのではないか。「真の理解」と言うものを我々が理解することができるか、と言うのは、かなり難しい哲学的問題ではないだろうか。

また、AIが人間の感情に関われないと言う説も、私には疑問である。なにもAIなんか持ち出すまでもない。ただのぬいぐるみ相手にだって、人間は心を通わすことができるではないか(*)。
さらにAIを使って人間の反応を予測して行動できるようになれば、十分実用的なレベルで人の感情に関わることができるのではないだろうか。「AIには感情が理解できない」とことさらに言い立てる論調は、「AIにやられてしまう」という不安の裏返しではないかとさえ思えてしまう。近年目立つようになった「日本の技術や文化は素晴らしい、他の国とはちがう」という論調ともダブって見えてくる。

AIに何ができて、何ができないかなんて問題の本質ではないと思うのだ。AIが将棋で人間に勝ったからといって、人間は将棋をやめるべきだろうか。自動車が人間より速いからといって、人間が走ることをやめさせようとする人がいるだろうか。
人間の社会が抱える問題をAIのせいにしては、AIが可哀想ではないだろうか。

*田辺聖子さんとぬいぐるみたちの関係は有名ですよね。

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