電車 居眠り 夢うつつ 第45回「脳の研究で心がわかりますか?」

「脳の研究で、心がわかりますか?」というのは、神経科学者(あるいは、いわゆる「脳科学者」)に対して問われる定番の質問である。
だが、この手の議論は上手くいかないことが多いようだ。意見の対立があって決着がつかないというのではない。そもそも質問とその答えが噛み合わないのだ。噛み合わないから、激しい対立にもならないが、なんとなく納得できないので、忘れた頃にまた同じ質問が繰り返される。「脳の研究で、心がわかりますか?」と。

科学者とそれ以外の人の、このようなすれ違いについて、ずいぶん昔に臨床心理学者の河合隼雄が著書の中で面白い説明をしていた。記憶に頼って要約すると、こうなる。

あるところに、結婚を間近に控えた若い女性がいたとしよう。ある日、この女性の婚約者が交通事故で亡くなってしまう。彼女は問う。「なぜ彼は死んでしまったのですか?」。医師は答える。「死因は脳挫傷です。」
この医師の説明は正しいが、女性の問いかけへの答えにはなっていない。彼女は、彼女の恋人がなぜ(why)死んだのか、あるいは死ななければならなかったのかを問うているのに、医師は彼がいかに(how)死んだのかを説明している。
このように、科学はhowの学問であり、whyという問いに答えることはできない、と言うのが河合の説明だ(たしか「ユング心理学入門」だったと思う)。

河合がhowという言葉でまとめているのは、客観的に把握できる因果関係のことで、whyというのは、出来事の意味や意義を含んでいるものと考えられる。

心ということに絞って考えると、われわれ(というのは、科学者以外の人と、仕事をしていない時の科学者のこと)が最も興味を引かれるのは、主観的で個人的な「心の動き」だろう。
今ここで私がたしかに感じているという感覚。今の私の感覚、今の私の意思、今の私の思考、今の私の感情。
ところが、科学は客観的であることが存立の必要条件なのだ。もちろん神経科学や認知科学は、人間の主観を扱うこともある。錯視がその代表例だ。
下の図は、以前ホテル暴風雨でも紹介したことのある「カニッツァの三角形」という錯視図形だが、この図を見ると、ほとんどの人は、物理的には存在しない三角形があるように感じる。そういう主観的な知覚に対応する脳の神経活動も見つかっている。

カニッツァの三角形

カニッツァの三角形

しかし科学である限り、主観的な現象も客観的に取り扱わなければならない。手続きの面で言うと、「再現性」と言うことが重視される。カニッツァの三角形などの「主観的輪郭線」は、誰に見せても、何十回見せても同じように「見える」ので、科学の対象になるのだ。一生に一回しか出会わない事、人によって感じ方の変わる事は、科学にはなじまない。
ところが、人が心の問題に特に興味を持つのは、ごく個人的な問題や、滅多に出会わない劇的な事柄に関してではないだろうか。

というわけで「脳の研究で、心がわかりますか?」という質問に対する私の答えはこうなる。

「脳の研究で、心についていろいろなことがわかります。でも、あなたがわかりたいと思うことはわからないかもしれません」

もちろん脳と心が無関係というわけではない。それどころか、「心とは脳の活動である」と私を含む多くの神経科学者は確信している。それに、時には脳の研究が心の問題に関して役立つこともあるのだ。そういったことについては、また次回以降で。

(by みやち)

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