電車 居眠り 夢うつつ 第44回「顕微鏡写真と芸術」

私の本業は大学の教員だ。専門は神経科学。この仕事をしていると、当然ながら動物の脳を扱うことが多い。脳といっても、まるのまんまの脳をそのまま見ても、中の構造はわからないので、いろいろ処理を施した脳を、ごく薄い(厚さ数十ミクロン)の切片標本にし、スライドガラスに貼り付けて染色し、顕微鏡で観察する。そうすると、下図のような神経細胞が見える。

図1

左の写真と右の写真は、同じ倍率で、大脳皮質の異なる場所を撮影したものだ。場所によって大きさも形も違う細胞が集まっていることはわかっていただけると思う。

こういうのを私は綺麗だと思う。見ていて飽きない。ただ、芸術とまでは言えないだろう。これはあくまでも実用的な写真である。だが、この切片標本、あるいは標本の顕微鏡写真を作成する過程には、芸術一般と共通するものがあるのではないだろうか。

脳というのは、ありふれたものである。あなたも私も一つずつ持っている。
人間なら誰でも持っているし、人間でなくても、脊椎動物であれば、ネコでもネズミでもカラスでもカエルでも、みんな一つずつちゃんと持っている。ただし、頭蓋骨に守られ、普段は外から見えない。たまに見えることがあると大事件である。

司馬遼太郎によれば、坂本龍馬の最期は、刺客に額を割られ、そこから脳が飛び散ったということであるが、もちろんそれは致命的である。さて、もしあなたがその現場に居合わせたとすると、竜馬の額から飛び出した脳は、写真のような青く美しい細胞とは似ても似つかない、灰白色のどろっとした塊(おそらくはそれに血の色が混じったもの)だったはずだ。

私たちが研究に使う脳も、もちろん元々は、動物の頭蓋の中に隠された、柔らかな灰色の塊である。それをホルマリン漬けにした後、必要な部分を切り出し、さらに数十ミクロンの厚さに切り、スライドガラスに貼り付け、染色液に浸し、洗い、さらに観察したい部分を顕微鏡で拡大すると、図のような美しい神経細胞の姿が見えるのだ。

図2

図2は、図1の左側に写っている大きな細胞と同じ種類の細胞(錐体細胞と呼ばれる)を別のやり方で染めたものだ。このように、同じ細胞でも染色法を変えると全く違って見える。

芸術家のやっていることも、大体同じではないだろうか。芸術、とくに文学が扱う主要な対象は人間の心だ。心というものは、誰もが持っているが、普通は目で見ることができない。普通には見ることのできない心を取り出し、ある部分を切り取り、あるいはある瞬間を切り取り、作者なりの方法で染め出し、拡大して見せる。
作者によって、心のどの部分を切り出すかも違うし、どう染めるかも違う。なので、同じ人の心を扱っても、全く異なる作品が出来上がる。

人間の心というのは、本来美しいとも醜いとも言えないものだろう。しかし、美しくないなら捨ててしまえ、というわけにもいかない。美しかろうが醜かろうが、生きている限り持っていなければならないものだ。その心を、美しく染めて見せてくれる芸術家がいるというのは、たいへん有難いものである。

(by みやち)

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