ここ数年、fact(事実)という言葉が密かな流行になった感がある。「ファクトチェック」という言葉も、ずいぶん一般的になった。このように、「事実」ということにみんなが注意を払うようになったのも、米国第45代大統領、ドナルド・トランプ氏の功績であろう。
ニュースでも、誰それの発言は事実と異なるとか不正確だとかいうことがしばしば言われるようになった。
だが、「事実」とは何か、「事実」であることが常に重要かと考えると、ちょっとわからなくなってくる。
だいたい、人の言うことを聞いて、それが事実であることを確認するまで信じるか信じないか態度を保留していたら、私の頭の中はあっという間に保留案件でいっぱいになってしまう。だから大抵は、人の言うことは素直に信じるようにしているのだが、でも時々、ちょっとケチをつけたくなることがある。
例えば、コロナウイルス関連のニュースを見ていると、よく図1のような写真が出てくる。大抵は、ニュースの背景として登場するだけで、その写真についての説明はない。
見ている方としては、まあコロナのニュースの背景なんだから、コロナウイルスの写真なんだろうと思う。
だが待ってほしい。ウイルスの写真があるとすれば、それは電子顕微鏡写真のはずである。電子顕微鏡写真がどうしてカラーなのだ?(注1)
もちろん、この写真には、意味があって着色してあるはずである。きっと元の論文を読めば、黄色が何を表して、赤が何を表すのか説明が書いてあるはずだ。だが、そう言う説明抜きで写真だけ見せられたら、コロナウイルスとはこういう色をしているものだと思ってしまうではないか。
もう一つ、コロナ関係のニュースを見ていて気になるのが、「富岳によるシミュレーション結果」と言うやつだ。例えば図2。
これも嘘ではない。たぶん嘘ではないのだろう。そこまで疑ったら、ニュースを見る意味がなくなってしまう。だが、シミュレーションは、あくまでシミュレーションである。富岳を使おうが、マルチバック(注2)を使おうが、実験で検証されるまでは仮説ではないか。
もちろんニュースでは、シミュレーション結果であるとことわっているわけだが、それを「あたかも」事実のように扱うのは、やっぱりどうかと思ってしまう。
ちょっとひねくれすぎだろうか?
(by みやち)
(注1)可視光線の波長より小さな対象を「見る」ために作られたのが、可視光より波長の短い電子線を使った電子顕微鏡である。
(注2)アイザック・アシモフの小説に登場する巨大コンピュータの名前。