心・脳・機械(11)倫理・情動・本能(続)

しばらく脱線が続いていましたが、元の話題に戻ります。
倫理とは情動を伴う行動規範であり、それはある種の本能に基づいているのではないか、という話をしていました。
たしかに、誰でも誰かの身に危険が迫っているのを見たら(例えば、車に轢かれそうになっているとか)、それが赤の他人であっても、「あっ!」と思うでしょう。その「あっ!」というのは、苦痛や恐怖に近い情動です。結果として、助けるにしても見殺しにするにしても、見た瞬間にはそういう情動が生じるわけです。
また、これは誰でもとは言えないかもしれませんが、多くの人は、嘘をつこうとすると、一瞬「うっ」と思うのではないでしょうか。たとえ意識の上では何とも思っていなくても、大抵の人は嘘をつくと緊張して、発汗などの自律神経反応が出るそうで、だからこそいわゆる嘘発見器というものが効果を発揮するわけです。
こういうことを考えると、隣人愛とか正直とかいう道徳は、人間の本能と言っても良いようです。「本能」というと、食欲とか性欲とか、利己的な性質のことを指すことが多いですが、少なくとも人間には、利他的な本能もあると言って良いのでしょう。

利己的な本能と利他的な本能は、当然しばしば対立します。そんな時、どちらが優先されるのでしょうか。
以前紹介した、アシモフの小説に出てくるロボットたちなら、答えは明快です。3原則の優先順位は初めから決まっているのです。人の命を助けるのが第1、人の望みを叶えるのが第2、そして、自分の身を守るのが第3。
人間の場合、そう簡単にはいきません。自分の危険を回避するという原則(本能)と、他人の危険を回避するという原則(本能)のどちらがどの程度優先されるかは、難しい問題です。経験的に言って、利己の本能の方が強いことが多いようですが、しかし、自分の命を犠牲にして他人を救うというようなことも、現実にあるわけです。

さまざまな宗教その他の倫理では、たいてい利他の精神が強調されています。「自分を大切に」なんてことが言われ出したのは、ここ数十年のことなのではないでしょうか。少なくとも、古くからある宗教で「自分を大切に」ということを強調しているものは聞いたことがありません。それはたぶん、人間はもともと利己的な存在だ、ということの裏返しなのでしょう。

次回に続きます。

(by みやち)

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