情動が行動を支配するという話から、倫理の話に深入りしてしまって、なかなか脳の話に入れなかった。
情動というのは、神経科学研究のかなり重要なテーマの一つだ。特に昨今は、うつ病などのいわゆる情動障害が社会問題となっているので、臨床的にも非常に重要なトピックであり、情動やその障害、治療に関わる脳の構造や活動がよく研究されている。扁桃体、前帯状皮質などという脳部位の名前は、科学番組などで聞いたことのある方も多いかもしれない。
だが、前に書いたように対象への接近・回避というのが情動の本質であるならば、情動の発現に脳は必ずしも必要ない。ミドリムシ(ユーグレナ)が有名な例だ。ミドリムシは単細胞生物だから当然脳を持たない(脳どころか、神経細胞がない)が、光に対して接近する性質(走光性)を持つ。言い換えれば、ミドリムシは明るい場所が好きなのだ。
神経系を持つ動物のうちで、かなり単純で、かつ有名なのがアメフラシだ。
皆さんはアメフラシという生き物をご存知だろうか。下の写真がそれで、海に棲む軟体動物だ。それほど世間で有名な動物ではないと思うが、エリック・カンデルという人がこの動物を実験に使ったために、神経科学の世界では知らぬ者のない有名人になってしまった。
アメフラシはエラや水管という、呼吸器官に触られるのが嫌いである。触られると、すぐにそれらを体の中に引っ込める。これも一種の回避行動と言えるが、何度も触られると、刺激に慣れてしまって、エラを引っ込めなくなる。逆に一度強い痛み刺激を与えられると、当分の間は、そっと触られただけでエラを引っ込めるようになる。このように、情動反応を経験によって変化させる、言い換えれば学習するというのが、情動における神経系の重要な役割と言えそうだ。もちろん、このような学習は我々にとっても重要だ。
20年くらい前の話だが、研究室の学生が実験中にナイフで指をざっくり切ってしまったことがある。彼は、傷をティッシュで押さえながら私のところへやってきて、「指切っちゃったんですけど、縫ってくれませんか」と言った。
彼は私が動物の傷を縫合するのを何回か見ているから、これくらい簡単だと思ったのだろう。だが、人間の指を縫うというのは、ちょっと話が別なのである。針を刺すことを考えただけで、(自分が)痛い気がする。
「あほか。病院に行け」と言いたかったが、もう診療時間は終わっている。かと言って救急車を呼ぶのも大袈裟のような気がする。困っていたところへ、共同研究者のお医者さんがひょっこり顔を出した。私は事情を話して、「縫ってもらえませんか」とダメ元でお願いした。なぜダメ元かというと、彼は内科医だったのだ。内科医でも傷は縫えるものだろうか?
ありがたいことに、彼はすぐに縫ってくれた。実に落ち着いた手捌きだった。内科医と言っても当直のアルバイトなどでは、簡単な縫合ぐらいはやるのだ。素人とは訳が違うのである。
だが、このお医者さんだって、初めて人の傷を縫った時は、私のようにビクビクしたに違いない。皆さんも想像して欲しい。自分が、糸を通した針を人の指に突き刺すところを。ちょっとドキドキするでしょう?
だが、医師として、仕事として、何回も人間の皮膚を縫ううちに、このような情動は次第に起こらなくなったのだろう。しかし、もしも1回でも大失敗をしたら、当分外科処置はできなくなるかもしれない。アメフラシのエラ引込反射と同じことである。
(次回は哺乳類の話に進みます。)
(by みやち)