心・脳・機械(26)単純化と飛躍(前)

最近だいぶ減ってきたような気がするが、テレビ番組にいわゆる「脳科学者」という人が出てきて、人のいろいろな行動を「脳科学的に」説明してくれることがある。そういうのを聞くと、私はすぐ「単純化しすぎだ」とか「論理が飛躍している」とかぶつぶつ言って、となりにいる妻に「だったら投書したら」と冷たく言われたりする。

さて、この単純化と飛躍ということは、実は科学の世界と一般の世界が出会うところではしばしば起こることだと思う。中でも、ヒトを含む生物に関する科学、すなわち生物学、人類学、社会学、経済学その他では、避けては通れないことと言って良いような気がする。なぜかと言えば、これらの科学が扱う対象は、数が多く、しかも多面的でかつ多様性に富んでいるからだ。
生物には必ず個体差があって、同じ個体というのは世界に2つは存在しない。遺伝子が全く同じ個体はいるかも知れない。しかし、生後に全く同じ経験をして育つということはあり得ないだろう。また、ある個体について記述しようとしたら、個体の内部状態、置かれた環境(今現在の環境と過去の全ての環境を含む)との関係など、挙げるべき要素は数え切れないほど多い。完全などということを考えたら、我々はミミズ1匹だって完全に記述することはできないだろう。
個体内の細胞でも、例えば脳の中の神経細胞は、同じ種類であっても、皆持っている情報は違う。やはり相当の多様性があるのである。科学というのは客観性を旨とする営みであるから、議論する事柄については、できるだけ客観的に記述しなければならない。また、特に実験科学では再現性ということが非常に重要だから、実験について記述するときは、読んだ人が重要な部分を再現できるように正確に記述しなければならない。逆に言えば、言葉で記述できるくらい単純なものでなければならない。

脳の研究を例に出すと、たとえば、私たちがものを記憶するとき、脳のどこが働いているのだろうと考える。これを実験的に確かめるためには、記憶ということのエッセンスをうまく取り出しながら、記述すべきパラメータの少ない、単純な行動課題を作るのが良い。また、ニューロン1個1個の活動まで調べようとしたら、動物実験を行わないといけないから、動物でもできる課題でないといけない。
昔から使われている課題の一つが、「遅延見本合わせ課題」というものだ。コンピュータ画面に画像を一つ提示する。一旦それが消えて、しばらく(数秒〜1分くらい)してから二つの画像が提示される。そのうち、前に提示されたのと同じ画像を選べば正解。
非常に単純だが、視覚記憶のエッセンスが入っていて、しかも条件の統制が容易だ。このように単純な課題を使うことによって、誰が行っても再現性よく同じ結果が出ることが期待できる。

さて、ある研究テーマに合った、うまい課題ができたら、それを動物に訓練して、動物が課題を行なっている間にニューロン活動を調べることになる。ここでもう一つの単純化が起こる。実際問題として、一つの実験で調べられるニューロンの数には限りがある。多くの論文では、100〜200個程度。人の大脳皮質のニューロン数は、ウィキペディアによれば200億くらいだそうだから、関心のある1領域に限っても、1億くらいはありそうである。その中の200個というのは、ずいぶん少ない。日本人の意見を知るために、200人に世論調査をするようなものだ。
その程度の調査でも、サンプリングバイアスさえなければ、多数派の意見を知ることはできるだろう。だが、さまざまな少数派の意見分布を知ろうと思えば、もっとサンプル数を増やさなければならない。だが、現代の科学の世界では、仮説検証型の研究がスタンダードだ。特定の仮説があって、それを証明するのであれば、仮説に合うニューロン活動があるかどうかが肝心であり、そのほかにどのような活動があるかはあまり問題にならない。

このように単純化された実験と、現実世界での我々の経験では、やはりある程度のギャップが生じてしまうのは仕方がない。だが、そのギャップを埋めようという努力も、もちろん行われている。

話が長くなるので、続きは次回に。

(by みやち)

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