うつ病の話が出てきたので、ここでSSRIのことを書いておこうと思う。
さて、SSRIと聞いて、すぐに「ああ、あれか」とわかる人はどのくらいいらっしゃるだろうか。うつ病の薬である。厚生労働省の統計によれば、現在日本ではうつを含む気分障害の患者が100万人以上いるそうだし、SSRIはうつ及び不安障害に対する第一選択薬の一つなので、名前くらいはご存知の方が多いのではないだろうか。
SSRIとは、selective serotonin reuptake inhibitor(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の略である。
余談になるが、薬の名前というのには色々ある。ロキソニンとかナロンエースいうのは、商品名。ロキソプロフェンとかイブプロフェンとかいうのが成分の物質名(一般名)。消炎鎮痛薬というのは、目的や効果を表す名前。
SSRIというのも、効果を表す名前で、とくに分子レベルの作用をそのまま名前にしている。とうぜん、SSRIの中にもいくつかの物質を使ったいくつかの商品があり、それぞれ別の一般名、商品名を持っている。Wikipediaによると、現在日本では4種類の有効成分を使った5つの製品(デプロメールとルボックスはいずれもフルボキサミンを主成分としている)が承認されているそうである。
セロトニンというのは、神経伝達物質の一つだ。前々回説明したように、神経細胞は軸索と呼ばれる長い足を伸ばし、ほかの神経細胞に情報を伝える。この軸索がほかの神経細胞にくっつくところをシナプスと呼ぶ。
図1*では、緑色の小さな細胞が軸索を伸ばし、2つの赤い細胞にシナプスを作っている。緑色の軸索が赤い細胞に沿って走り、所々でぷくっと膨らんでいるのがお分かりになるだろうか。解像度が悪いのだが、それらしいところを3箇所丸で囲んでおいた。こういう膨らんだところの下にシナプスがあると考えられる。
シナプスでは、必要に応じシナプス前細胞が神経伝達物質(セロトニンとかグルタミン酸とかGABAとか)を放出し、それをシナプス後細胞の受容体が受け取ることによって情報が伝達される(図2)。
受容体が受け取り損ねた伝達物質は、シナプスの外に漏れ出してしまう。それではもったいないので、シナプス前細胞は、輸送体という装置(タンパク)を使って、余った伝達物質を回収する。優れた仕組みである。だが、大量の伝達物質が放出されているときにはこれで良いのだが、伝達物質の量が減ると、受容体と輸送体が、少ない伝達物質を奪い合うことになってしまう。
うつ病の患者の脳ではセロトニンが減っている。SSRIがセロトニン輸送体の働きを阻害し、シナプスにおけるセロトニン濃度を上げることで、シナプス後細胞が受け取るセロトニンの量を増やす。それによってうつ症状が軽減される。このように、私は理解していた。
ところが、今回の原稿を書くにあたって念のために調べてみると、そういう単純な話ではないようなのである。SSRIがセロトニン輸送体の機能を阻害することは間違いない。だが、それによるセロトニン濃度の上昇が直接うつの改善につながっているのではないというのだ。
SSRIは、服用後すぐにセロトニン輸送体を阻害するにも関わらず、うつ症状の改善には、薬の服用開始後1週間くらいかかる。これを説明するために現在考えられている一つの仮説は以下のようなものである。
うつ病ではセロトニンが少ないために受容体の数が増えるなど、セロトニンに対するシナプス後細胞の感受性が亢進していて、少ないセロトニンでも、爆発的に反応するようになっている。SSRIによってセロトニン量を増やすと、数日かけてセロトニン受容体の量や細胞の反応性が抑えられ、症状が改善する。つまり、シナプス後細胞の感受性を下げることで効果が出るというのだ。
「効くんなら、理屈はどうでもいいじゃん」というのも一つの考え方だが、こういう細かなメカニズムの理解が、より良い薬の開発にも役立つし、うつの脳で起こっていることの理解につながるのである。
*1 Principles of Neural Science 6th edition (McGraw Hill, 2021)より転載。
細胞に赤や緑の色がついているのは、実験のために分子生物学的な方法で細胞に色をつけたもの。本来脳の中には、赤い細胞も緑の細胞も、灰色の脳細胞もありません(笑)。赤と緑が見づらい方もいらっしゃるでしょうが、元の図がこうなっていますので、ご容赦ください。真ん中の小さい細胞が緑で、左右の大きい細胞が赤です。
(by みやち)