葉公(しょうこう)、孔子に語(つ)げて曰く、吾が党に直躬(ちょっきゅう)なる者有り。其の父 羊を攘(ぬす)みて、子 之(これ)を証(しょう)せり、と。孔子曰く、吾が党の直(ちょく)なる者は、是に異(こと)なれり。父は子の為に隠(かく)し、子は父の為に隠す。直は其の中に在り、と。
(子路 十三)
――――葉殿が孔子に言った。「私の郷里には、大変に真っ直ぐな人間がおりますぞ。父親が羊を盗んだときに、進んで(父が盗んだと)証言しました。」 孔子は言った。「私の郷里で言う真っ直ぐな人間というのは、それとは少し違います。(もし子が盗みを働けば)父は子のために隠し、(父が盗めば)子は父のために隠します。「真っ直ぐ」ということの意味は、そこにあります。」――――
父が盗みをすれば、子がそれを隠すことなく証言する。それは確かに正直である。だが、その時の当人たちの気持ちはどんなものだろう。子は、「お前は正直者だ。郷里の誉れだ」などと褒められて嬉しいだろうか。もしそれを嬉しがるようであれば、それはあまり褒められた人間ではないのではなかろうか。ましてや家族愛は、孔子の思想の原点である。「子が父の犯罪を証言する」という不幸な出来事を、美談として自慢げに話すおっさんに、孔子はむかっ腹が立ったのだろう。
なお、孔子はここで、「父が子のために隠し、子が父のために隠す。その中に直がある」と言っているのであって、「隠す者が直である」とは言っていない。このあたりの表現は、みごとである。
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