【 魔の目覚め 】( 短編魔談 9 )

【 感傷 】

妙な話を持ち出すようだが、あなたは「せつない気分に身も心も没したい」と、ふと思うことはあるだろうか。私はある。ときどきある。いったいなにがきっかけで、そのような気分がググーッと無意識の底から頭をもたげてくるのだろう。よくわからない。しかしそれは確かにある。半年に一度ぐらいの頻度で。
そのような欲求が起こったとき、あなたはどうしますか?

私の場合、その欲求を充足するために、なにか行動を起こす。これは当然のことだ。しかし対策以上に関心があるのは「その欲求はどこから来たのか。なにがきっかけで来たのか」という疑問だ。これを追求するためにはどうすればいいのか。「我慢する」という態度を、あえてとることがある。つまりその欲求を意識しつつ日常生活を続行する。その結果、どうなるのか。自然消滅か、現状維持か、あるいは要求増大か。

自分の内部で起こる葛藤を注意深く観察していると、「せつない気分に身も心も没したい」と思う心理は極めて遠い過去から引きずってきた感傷であるような気がする。

なにかにつけ感傷的な時代というのが、かつてあった。人にもよるのだろうが、私の場合は中学生時代だ。多感で、混乱で、混沌の時代だった。その時代の欲求をいまだに引きずっているのだろうか。深海の岩陰に潜むラティメリア(シーラカンス唯一の現生種)が生を繋いでいたことを知り世界中の魚類学者が驚嘆したように、遠い昔に消滅したはずの感傷が、無意識という大海のどこかにいまだに潜んでいるのかもしれない。……ということであるならば、これは貴重な欲求なのであって、おろそかな扱いをしてはならない。どうするか。

私は「存分に浸るために小説を読む」ことにしている。映画でもいいのだが、映画は話がどんどん進行してしまう。感傷に浸り、その気分を大切にし、静かにため息をついている暇もない。その点、やはり小説はいい。時間を贅沢に使った対策と言える。
「ではこの機会にあれを読もうか」という小説がある。それが「デッド・ゾーン」だ。

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【 デッド・ゾーン 】

さて本題。
魔談でも何度も取り上げて来たスティーブン・キング。ホラー映画原作の帝王である。この王様が書いて映画になった作品に「魔の目覚め」と呼ぶにふさわしいシーンがある。

「デッド・ゾーン」(1983年)

この映画は御存知だろうか。王様の小説は山のようにたくさんあり、ごく控え目に言ってどうしようもない愚作も丘のようにたくさんあるのだが、この原作は「シャイニング」と並び、私が好きな小説のひとつだ。やや感傷的にすぎる描写が随所にあり、読んでいてやりきれない気分になってしまうシーンもあるのだが、いい小説だと私は思っている。そして嬉しいことに、映画もじつにいい。主役のクリストファー・ウォーケンがすばらしい。

さて主人公が遭遇する「魔の目覚め」。いかなる目覚めか。こんな紹介の仕方はどうだろう。あなたは高校の教師である。同じ高校の女性教師と恋愛中だ。物語はひそやかで幸福感に満ちた遊園地のデートから始まる。しかしその帰路、あなたは事故に遭遇してしまう。あなたの運転する車は横転し、あなたは意識を失う。

ハッと意識を取り戻した。「ああ、私は助かったのか」とあなたは安堵する。しかしあれほどの事故に巻きこまれながら、体にはキズひとつない。それもそのはず。あなたはなんと5年間も昏睡状態だったのだ。

自分の意識としては次の瞬間に目覚めたつもりが、実際には5年が経過していた。その結果、衰弱した体は歩行にも杖が必要だった。すぐにでも会って抱きしめたかった恋人は、この5年の間に他の男と結婚していた。子供もいた。

この状況、あなたは耐えられますか?
自分の感覚としては一夜で、5年間を失い、彼女を失い、体力を失い、職を失った。しかし話はそれで終わりではない。昏睡から帰還した時から、あなたは特殊な能力を持ってしまったことに気がつく。以前からその能力は潜在的にあったのか、あるいは神の気まぐれで授けられたか、それはわからない。なんと人に触れただけで、その人の過去、現在、未来が電光ショックのようにわかってしまうのだ。今の時代の言葉で言えば、「その人の無意識や未来の予兆さえも含めた完全同期」ということになろうか。

当然ながら、そんな能力はあなたには耐えられない。あなたは自宅に引きこもるようになった。しかし世間が、あなたのその奇怪な能力をほっておかない。その真贋を巡って報道が騒ぐようになる。その能力はあなたを一躍有名にしてしまう。

噂を聞いてあなたの家にやってきたのは、保安官だった。連続強姦殺人事件の解決にその能力を貸してほしいというのだ。このあたりから、あなたの悲劇は一気に加速してゆく。「悲劇に向かって突き進む映画」だ。「せつない気分に身も心も没したい」にイチオシの名作である。

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追記。
「デッド・ゾーン」で主役を演じたクリストファー・ウォーケン。じつは前回の魔談で取り上げた「ブレインストーム」(1983年)と同じ年に制作され、彼が主役を好演した映画である。

この2本の映画とクリストファー・ウォーケンをこよなく愛する私としては「1983年は、男優クリストファー・ウォーケン(当時40歳)にとって頂点の年」と思っている。もちろん彼はまだ存命であり(現在77歳)、今後、素晴らしい演技を見せてくれる可能性は十分にある。しかし彼の年齢と目下の映画状況を考えると「やはりこの時代の彼と、この時代の映画。彼の頂点だ」と思わざるをえない。

………………………………………* 魔の目覚め・完 *

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