街の東へ向かう道は、いつになく人であふれていた。
林の奥にある説法の広場へ向かって、
町の人々がぞろぞろと歩いている。
善財たちの一行も、その流れに加わっていた。
善財は隣を歩く善誓に声をかけた。
「ところでさ」
「なんだ?」
「説法してる人、名前は何ていうんだ?」
善誓は、少し得意そうに言った。
「文殊菩薩だってよ」

善財は眉を上げた。
「文殊?」
「そう。“三人寄れば文殊の知恵”の、あの文殊」
善財は少し考えた。
「……オレたち三人集まっても、
とても“この世の真理”なんか出てきそうにないぞ」
善誓はすぐに言い返す。
「オレに言うなよ!
あれは“たとえ話”ってやつだ!」
善財は笑った。
「冗談だよ。で、その文殊って、どんな人なんだ?」
善誓は肩をすくめた。
「なんでも、今のブッダだけじゃなくてさ――」
「うん?」
「その前のブッダたちにも教えを説いてた人らしいぞ」
善財は思わず足を止めかけた。
「前のブッダ?」
「そう。今のシャカムニ・ブッダより前にも、
ブッダが何人か現れてるって話だろ」
善財は腕を組んだ。
「へえ。で、何人ぐらいなんだ?」
善誓は首をひねる。
「さあな……六人とか七人とか」
善財は吹き出した。
「それ、本当だったら何歳なんだよ」
「知らないよ」
善誓は笑った。
「伝説ってやつだろ」
善財は前方を見た。
林の向こうに、巨大な石の塔が姿を現していた。
塔は段々に高く積み上げられ、
その周囲には精巧な石の欄干がめぐらされている。
浮き彫りには、人々や象、天人たちの姿がびっしり刻まれていた。
その塔を囲む広場には、
すでに見渡すかぎり人が集まっていた。
「……うわ、すごい人だな」
善誓が思わず声を上げる。
善財も思わず立ち止まった。
(これ……街の人がみんな来てるんじゃないか?)
「どうやらオレたちの親の世代が多いみたいだな」
善誓が言う。
「まだ中に入りきれてない人もいるぞ」
「そりゃそうだろうな」
善財は苦笑した。
「“ブッダより賢い人”の話が聞けるんだろ?」
善誓は肩をすくめた。
「まあ、触れ込みはな」
善財は塔を見上げた。
「でも、ちょっと気になるよな」
やがて係の人の指示に従い、
善財たちは石造りの門へと進んだ。
門には豪華な装飾が施されている。
そこをくぐった瞬間――
善財は思わず息をのんだ。
そこには、想像していたよりはるかに
広大な空間が広がっていた。

巨大な仏塔が中央にそびえ、
その周囲の広場には
びっしりと人が座っている。
見渡すかぎり、
人の列は途切れない。
(すごいな……)
(まるで街ひとつ分の人が集まってるみたいだ)
その人の海の中央に、
ひときわ静かな場所があった。
そこに、ひとりの人物が座っている。
善財は目を細めた。
「あれが文殊か」
善誓も目を凝らす。
「そうみたいだな」
善財は少し首をかしげた。
「……思ったより若くないか?」
「オレもそう思った」
善誓は腕を組んだ。
善財はその人物を見つめた。
遠くにいるはずなのに、
なぜか姿がはっきりと目に入る。
(なんだろうな……)
(なんだか身体が光って見える気がする)
善財は小さくつぶやいた。
「まあ、真理を悟ると――
年齢ぐらい、どうでもよくなるのかもしれないな」
善誓は笑った。
「オレにはさっぱりわからん」
列はゆっくりと進み、
やがて善財たちは文殊の前まで来た。
前の人たちの様子を見て、善財は小声で言った。
「どうやら礼拝するみたいだな」
「みんなそうしてるな」
善財は見よう見まねで、文殊の足もとに座り、
額が地面につくほど深く頭を下げる。
そのあと立ち上がり、
右回りに三度、文殊の周りを巡った。
善誓も同じようにする。
善財たちは、会場の隅のほうにある空いた場所へ腰を下ろした。
そして――
彼らが最後の一団だった。
会場のざわめきが、すっと静まる。
すべての人が座ったのだ。
善財は膝の上に手を置き、文殊菩薩を見つめた。
そのとき――
ほんの一瞬だけ、
文殊菩薩の視線がこちらに向いた気がした。
善財は思わず息を止めた。
(……今、こっちを見た?)
しかし次の瞬間、文殊の視線はすでに広場の人々へ向けられていた。
(……気のせいか)
善財は小さく首をかしげる。
(さて……)
(どんな話が始まるんだろうな)

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