生暖かい微風が肌にまとわりつく。
見渡す限り、赤紫の地面のうねりが広がっている。遠くの丘の稜線の上は、暗い青緑色の空だ。
地面に押し当てている手の肉球に何かが触れた感じがした。ジョーは手をどかしてその下にあるものを見た。
びっしりと群生する赤紫の草の間に、小さな半透明の芽が生えていて、ふるふると揺れている。風になびいているのではなく、自ら動いているのだ。
不思議なその動きに目を奪われていると、背後から声をかけられた。
「おい兄ちゃん、何してる。手ぇ動かしな」
振り返ると、ほっかむりをした農夫が身をかがめるようにして立っていた。顔はゴツゴツした岩のようで、目鼻はなかった。
「あれ、カゴを持ってねえのか。じゃ俺についてきな。ぼさっとしてっと怒られっぞ」
農夫はそう言うと、中腰になって赤紫の草を摘み、背中につけたカゴにポイポイと放り込み始めた。ジョーも真似をして草を摘んだ。草はしっとりと柔らかく、少し力を加えるとぐずぐずに潰れるので、すぐに手が赤紫色の汁でベトベトになった。
「『ほりこ様』に触らないように気をつけれ」
農夫が、これだけは守らなければならない戒律か何かのような口調で言い、ジョーの手元を指さした。その先には、あの半透明の芽があった。
(そうだった。あやうく「ほりこ様」を潰してしまうところだった)
ジョーは、前にどこかでそれについて教わっていたのを思い出した。
作業をしながらチラチラと周囲を見ると、他にも何人か、同じような格好をした農夫が働いていた。
中腰になって働く農夫たちの間に、背を伸ばして立っている者があり、農夫たちの作業を監督しているようだった。その人物が、くるりと振り向いてこちらを見た。
ひさしのついた帽子の下にある顔は半透明で、目鼻の代わりに四つ葉のような模様があった。
ジョーに声をかけてきた農夫が、隣でさっと緊張したのがわかった。
「来い」
別人のように鋭い声で言うと、農夫はジョーの手をつかんで引いた。
よろけながら農夫について走り出したジョーの視界の端に、監督者の袖口から光る触手が勢いよく伸びてこちらに向かってくるのが映った。
前方に目をやると、赤紫の地面が途切れていた。
拒む暇もなく、農夫に引っ張られるまま、ジョーは崖を蹴って飛び出した。
身体がふわりと浮いた。
手足の使い方がわからず、バタバタともがくジョーの手を引いて、農夫はスイスイと泳いでいく。摘んだ草でいっぱいだった背中のカゴはとっくに捨てていた。
下には、奇妙な街並みが広がっていた。
骨組みだけになった建物に、貝や海藻がびっしりついている。広場には、同じように貝や海藻をまとわりつかせた人間たちが規則正しい隊列や円環を作って並んでいたが、よく見るとそれらは全て彫像だった。
農夫は高度を下げ、屋根の残っている建物のなかに入っていった。
廊下を進み、小部屋の一つに入ると、農夫はようやくジョーの手を離した。
「ここまで来れば大丈夫だ」
農夫は快活な声でそう言うと、ほっかむりをとり、岩のような面を剥いだ。
そこにいるのは堂々とした体躯の、輝くような毛並みを持った山猫だった。
ジョーは急に頭がはっきりしたように感じ、相手を見つめた。
「あんたはひょっとして……」
(第十話へ続く)
(by 芳納珪)
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