ジャックはジョーに向き直り、まっすぐに見つめた。
「なんで帰りたくないか、わかりませんか? ぼくは保管庫なんですよ。そして、ボスのスペアの身体でもあります。ボスが死んだ時にはボスの意識はこの身体にうつされます。その時には、無意識の領域に記憶されている秘密情報だけが残って、ぼくがぼくだと感じているこの意識は消滅します。つまり、ぼくという人格は死んでしまうんです」
二人の大人はしいんとなった。ジャックは自分に話しかけるように、淡々と言葉を継いだ。
「確かにぼくは大事に育てられました。いろんな分野の家庭教師に勉強を教わり、栄養バランスの良い食事に適度な運動……。でも、それらはすべて、優良な身体を作る、ただそのためだけに与えられたものだったんです。ぼくは家の外に出たことがありませんでした。だから、自分が育てられた目的を知ったとき、外に出たいと思いました。いいえ、『出たい』なんて生やさしい思いじゃない。出なきゃいけない、そして二度と戻っちゃいけないと、固く決意したんです」
ジョーが遮った。
「ちょっと待った。『育てられた目的を知った』って、どうやって知ったんだ?」
「チエクラゲですよ」
ジョーは唸った。ジャックもあの光る触手に遭遇したことはわかっていたが、その触手に自分の存在の秘密を告げられたのか。なんと奇妙な経験だろう。
ジャックは続けた。
「家には、たくさんの本を収めた書庫がありました。そこは唯一ぼくがひとりになれる場所でした。ぼくを見守るという口実でいつも監視がついていたけれど、本を読んでおとなしくしているときは監視の目も緩みがちだったんです。ぼくはそこでチエクラゲに会いました。そのチエクラゲは昔からたびたび触手を侵入させて本を漁っていたので、家の中のこともよく知っていました。ぼくが生まれる前のことも。ぼくが、初めてのクローンではないことも」
ジョーと磁天は息を呑んだ。
「チエクラゲは触手を文字の形にして、ぼくはノートに字を書いて会話しました。ぼくが外に出たいと言うと、チエクラゲは海の中になら連れて行ってあげられると言うので、そうしてくれるようにお願いしました」
ジョーはまた唸った。ジャックの気持ちはわかる。しかし、相談相手がチエクラゲだったのが間違いだった。
「うーん、ずっと家の中に閉じ込められていたから外に出たいというのはわかるけどよ……じっさい来てみてどうなんだ? おまえはここの暮らしが気に入っているのか?」
すると意外なことに、ジャックはにっこりした。
「はい、気に入っています。空は高くて気持ちいいし、農場は広々として赤い草がきれいだし。『ほりこ様』は本当にかわいいです。毎日成長するんですよ。もうすぐいっせいに農場から離れるそうなので、楽しみです」
「あのな。立体都市の路上の暮らしの方がもうちっと楽しいと思うぜ? 自由気ままでよ。たまにはケンカしなきゃならねえこともあるが、それも遊びのひとつだ。帰ったら俺がいろいろ教えて……」
ジョーは言いかけてやめた。「帰る」ということは、いま目の前にいるジャックを、黒蛇団のアジトの小部屋のケースの中にあるクラゲ化したジャックの身体と再統合することだ。それにはどうしてもあの部屋へ戻らなければならない。そして、そのためにはジョー自身が、海中のどこかに漂っている自分の身体と再統合することが必要なのだ。
「そういや、俺の身体はどこにあるんだ?」
ジョーはつぶやいてから、磁天を見た。分離した二つの身体を再統合すれば、クラゲ化は治って元に戻ると教えてくれたのは磁天だ。
山猫は静かに口を開いた。
「早くした方がいい。オマエの身体はもうすぐ機能を停止する。そうなったら再統合はできなくなる」
「なんだって」
ジョーの顔から血の気が引いた。
(第十六話へ続く)
(by 芳納珪)
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