F・フェアードマン。
200年前の時代から抜け出したような紳士を、私はじっと見つめた。
レディMから遡って七代前のフェアードマン家当主。時間兵器「ノルアモイ」を作った張本人。
「余(よ)が現れたことを、それほど驚いておられないようであるな」
フェアードマン卿の問いかけの口調は、その姿と同じように威厳と風格があったが、不思議と威圧感はなかった。私は少し緊張を緩めた。
「一日中歩き回って、ここが一体どういう世界なのか、推理しましたのでね」
「ほう。どのような推理であるか」
フェアードマン卿の漆黒の瞳に、周囲のノルアモイたちの青い炎が揺らめいた。
私は軽く咳払いして、どんな言葉遣いにするべきか少しだけ思案してから喋り始めた。
「ここは、たくさんの枝分かれした時間が並列する世界です」
フェアードマン卿は微動だにしない。ただ目だけが、ゆっくりと一回、瞬いた。私はそれを、先をうながす合図だと受け取ることにした。
「ノルアモイは、恐怖を媒介として作動する時間兵器です。ノルアモイの恐怖に感染すると、自分と周囲の時間がズレるという『呪い』をかけられます。この世界に来る直前、私の近くにいた占いねずみたちにノルアモイの呪いがかけられました。彼らの中にはテレパシー能力を持った者が何匹かいました。そのエスパーねずみたちが、ノルアモイの恐怖を互いに伝え合って増幅した結果、複数の時間領域が存在するこの世界が出現した……と考えられます。
時間というものは一方向に進みますが、その線は一本ではありません。あらゆる瞬間で、いくつもの『選択肢』が発生するからです。その選択肢である時間領域が垂直水平方向に果てしなく並んでいるのが、この世界です。一見同じ街並みに見えて、少しずつ状況が違っているのはそういうわけです」
私はいったん言葉を切り、軽く息を吸った。
「私が訪れたいくつかの時間領域のあいだには、小さな違いはありましたが、全くかけ離れた状況というのはありませんでした。おそらく、近い領域は変化が小さく、遠くなるほど変化が大きくなるのではないでしょうか。きっと、もっと遠くの方に、フェアードマン卿が七代前ではなく現在のフェアードマン家当主として、上層ではなく中層に住んでいる時間領域があるのでしょう。あなたはそこからやってきたのです」
ふふふ……と低い声が聞こえた。フェアードマン卿が笑ったのだ。
「なかなかの名推理である。時間展開立体の説明は大体合っている。しかし残念ながら、この私についての推理は違う」
違うのか。
手のひらに、じっとりと汗が滲んだ。
では、このフェアードマン卿の正体とは……。
「何のために時間展開立体を作ったと思うのだ」
そう、それは私も疑問だった。ノルアモイは兵器だ。この「時間展開立体」の世界を作ることが、兵器の目的だとは思えない。何故なら、それぞれの時間領域の中では、人々は何の障害もなく、平和に日常を送っているからだ。こんなのほほんとした兵器はないだろう。
「私はこの時間展開立体の外側からやってきた」
フェアードマン卿が二つ目のヒントを出した。
私のこめかみから、汗がひとすじ、つ……と流れた。
恐ろしい推理が浮かびつつあった。
「時間展開立体を作ったのは、ノルアモイを増殖させるため……無数の時間領域に存在するノルアモイのAIを網の目のようにつなげれば、スーパーAIとなる……そして、あなたのその体は、上層のどこかに保管してあったもの。おそらく生体ではなく、人造体(ヒューマノイド)だ。そこにノルアモイのスーパーAIをリンクさせれば、あなたは神にも等しい存在になる」
次の瞬間、私は渾身の早撃ちでフェアードマン卿に万能銃〈ムラマサ〉を向け、引き金を引いた。
フェアードマン卿の目の色に、肯定の意を読み取ったからだ。
先ほどいったん銃をしまったのは、フェアードマン卿を傷つけることによって、元の世界のレディMに影響が及ぶことを恐れたからだ。並行世界であっても、血の繋がった祖先が子を成す前に死んでしまったら、レディMは消えてしまうのではないか――そういう直感があった。
しかし、人造体(ヒューマノイド)であれば、その心配はない。
無数のノルアモイがつくりあげた知能――そんなものが存在してはならなかった。
この時間領域で今しがた会った占い師のロスコは、私が立体都市を救った、と言った。だが、今の私にはそんな高尚な動機はない。ただただ、ノルアモイに対する恐怖、それだけだった。
(第二十一話へ続く)
(by 芳納珪)