クルックー。クルックー。
ひしめき合うサボテンの向こうから、鳩時計が午後五時を告げた。
私は、読みかけの岡本綺堂をデスクに伏せて立ち上がった。
ここ、オールドアースのトキ市は、今日もうだるような暑さだった。窓という窓を全開にし、三台の扇風機はフル稼働。
来客は一人もなかったが、レッドイーグル探偵社では、そんな日は珍しくない。
入口まではきっかり四歩。傘立てにさしてあるシャッターのひっかけ棒を手にとる。
ガラス越しに、探偵社の向かいにある「月世界中華そば」の色あせた暖簾を眺めながら、引き戸をガラリと開け……ることができなかった。
上半分がガラス、下半分がスチールの引き戸の下の方に、向こう側から重いものが寄りかかっているようだ。
仕方なく、横の勝手口から出て正面に回る。
むうんと肺を満たす、汚れきった街路の空気。
ふりあおげば、いくつもの街塔(がいとう)が森のように集まっている立体都市。
ちょうど、真っ白な塔のてっぺんにあるプライベート宇宙港から、最新鋭の宇宙船が飛び立ったところだ。
視線を戻せば、通りに面した商店の看板も、窓も室外機も、全てが灰色。
都市の下へ行けば行くほど、灰色は濃くなっていく。
「月世界中華そば」の、ラーメンや餃子の食品サンプルを並べたショーケースの前には、街と同化したような灰色の男が、昨日と同じ姿勢で酒瓶を抱いていた。
……探偵社の戸口に横たわっているのは、緑色の大きな生き物だった。
水星人。
全身を覆う粘膜は干からびてひび割れ、口吻からは黄色の絨毛が外に飛び出している。常に大量の水を必要とする水星人の、脱水症状だ。それも、かなり危険な。
私は、ことと次第によっては蹴飛ばしてやろうと脱ぎかけていた靴に鉤爪を戻し、勝手口の脇にある水道の蛇口にホースをつないだ。
赤い羽毛がびっしり生えた手でホースの先を潰すと、ほとばしる水は扇型に広がった。人型でいるときは、翼の代わりに手を使うことができる。地上ではこのほうが便利だ。
水星人の皮膚は、浴びせた水を際限なく吸収するかのようだった。
ひび割れが消え、緑色の粘膜が色つやを増したので、いったん水を止めた。
黄色の絨毛は、正常に口の中に引っ込んでいる。その口吻が、ブブブ、と震えた。
絨毛の奥から漏れ出る音声を聞き取ろうと、私は慎重に耳を近づけた。
「つまを・さがして・ほしい」
それが、私が聞き取ることができた、彼の最初の言葉だった。
(第二話に続く)
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