レオネは赤く染まったコートを着たまま、よろよろとドームの壁を伝って降り始めた。
「ああ、花恵さんが……頼むから、丁重に扱ってくれ……お、折れたりしないように……」
アマト・エースがうわごとのように言った。
やはり、レオネが抱いているあの鉢が、花恵なのか。
しかし、どうしてレオネは、花恵の意識が移植された花を見分けることができたのだろう?
レオネが、コートを脱ぎ捨てた。
濡れて重くなったコートが、べちゃっと地面に張り付く。
アマト・エースが、ヒッ、と息を飲んだ。
このじいさん、花の心配ばかりしていたが、赤いのはインクだということはわかっているのかな。
万能銃にはインキング・モードがあり、逃走する敵に目印をつけることができるのだ。
コートは捨てられたが、インクはレオネの髪にも付着していた。
赤い髪は、風をはらんでドームの出口から花園へ出て行った。
私は大股で歩きながらトレンチコートを脱ぎ、開いたままの出口ドアに引っ掛けた。
一張羅だから、汚したくない。
ドームの外に出ると、赤い髪はすぐに見つけられた。
咲き乱れる花の少し上を、ふわふわと遠ざかっていく。
走るのが苦手なのか、花を傷つけないようにしているからなのか、速度は遅い。
私は両手を広げて駆け出した。
腕の下に折りたたまれていた風切り羽根が広がる。
地面を蹴って、大きく羽ばたく。
翼開長2.5メートル、輝くばかりの赤い大鷲だ。
鳥形態での飛行速度は、最高時速300km近くにまで達する。
研究棟に向かっていたレオネの進路に回り込み、向きを変えさせる。そうして蛇行しながら追尾し、花園の周縁部に追い詰めた。
レオネはそこで、息を切らしてへたり込んだ。保護色は消え、全身があらわれている。
私はレオネの正面に降り立ち、風切り羽根をたたんだ。
「手荒なことはしたくない。おとなしく花恵さんをこちらへ渡していただけますかな、お嬢さん」
レオネは激しく息をしながら、両手で鉢を囲い込んだ。
「渡すもんか。私と花恵は、結婚する約束をしていたんだ」
そういうことだったのか。
シャトルの中で私が「花恵さんはその博士だか教授だかと結婚したかったのかもしれない」と言ったとき、レオネがとつぜん大声をあげて否定したことを思い出した。
「……だから、あれだけの花の中から花恵さんを見分けることができたのか」
「どんな姿になっていても、私にはわかる。さっき花恵は、私が金星に行って『音信不通になった』と言ってたでしょう? でも、私は手紙をたくさん出したし、花恵からの返事も受け取っていたのよ。水星人のしわざだよ。私からの手紙を花恵に渡さず、ニセの返事を出していたんだ。そんなやつのところへ、花恵を帰すわけにはいかない!」
「しかたない」
万能銃が一閃した。
レオネの上体がのけぞった。
圧縮空気の衝撃だ。突風に飛ばされたようなものだから、痛みも害もない。
そのすきに私は、花恵の鉢を鉤爪でつかみ、翼を広げて飛び立った。

挿絵:服部奈々子
ガラスドームのドアに掛けておいたトレンチコートをくちばしでさっと拾い上げ、最初に出てきた研究棟のドアの前に降り立つ。
花恵を抱えて、中へ入る。
ドアを閉めるとき、一瞬だけ、胸が痛んだ。
この夢のような風景を見ることは、もうできないのだ。
ドアと壁の隙間を万能銃の粘着液モードで塞ぎ、私は待った。まだ少し、二人と話す必要がある。
少しして、ドアノブが向こう側からガチャガチャ回され、開かないとわかるとガンガン叩かれ始めた。
ベトベトした粘着液で固められたドアは、ビクともしない。
「開けなさいよ、へっぽこ探偵! 最低男!」レオネが叫んだ。
「花恵さんを傷つけることはしない。それは約束する」
「でも、あいつに渡すんでしょう?」
「そういう依頼だからな。仕方ない」
「水星人は重度の脱水症なんでしょう? きっと、もう死んでしまっているよ。花恵を連れ帰っても無駄足になるよ」
「私が水星人の素性を調べなかったと思うのか。やつは成金の資産家で、自分のクローンを何体も持っている。死んだとしてもすぐにクローンが起動する。そんなことはきみだって知っているだろう」
「……」
「花恵さんを渡せば、報酬をたんまりはずんでくれるはずだ。そうだ、ついでに口止め料ももらえるかな。配偶者に対する暴力は大スキャンダルだろうからな。フフフフ……」
今の言葉でレオネは怒り狂っただろう。ドアが本当に壊れるのではないかと思うほど、いっそう叩き方が激しくなった。
その音が、ふいにやんだ。
「……」
なにごとか呟く声が聞こえる。アマト博士だ。
私は耳をすました。
「水を……毎日、水をやってくれ……」
弱々しいが、必死に訴えていた。
「毎日か。サボテンよりも乾きやすいんだな」
「そうだ。サボテンと同じように、大事にしてやってくれ。頼んだぞ……」
「わかった」
私はアマト博士に返事をした。それから、レオネのシャトルが置いてある格納庫へ向けて走り出した。
途中、2、3台のロボットに出会ったが、攻撃はしてこなかった。もともと、そういう用途ではないのかもしれない。
私はシャトルに乗り込むと、主電源を入れた。
発進に向けて、正しい手順でパネルを操作する。
シャトルの操縦などしたことのない私が、なぜこんなにテキパキと動けるのか。
じつは、シャトルを降りる前に、操縦マニュアルの中にこっそり紙魚を放っておいたのだ。
『マルタの鷹』のページの間に隠して連れてきた紙魚たちを。
私がシャトルを離れている間にマニュアルを完璧にマスターした彼らが、いま耳元で、逐一指示をしてくれている。
おかげで、シャトルは無事に発進した。
正面のモニターに、青い地球が映る。
操縦を自動モードに切り替えて一息つくと、紙魚たちが早速おしゃべりを始めた。
「あのマニュアル、最悪だったな」
「腹が減っていたので少しかじったが、ものすごくまずかった」
「しかしまあ、宇宙へ行った紙魚はわしらが初めてだろうな」
「二度とごめんだ」
「まったくだ」
「早く俺たちのブリタニカに帰ろうぜ」
こいつらは、どこへ行っても変わらんな。
私はホッとして、操縦席のシートに背をあずけた。
(第十六話に続く)
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