〈赤ワシ探偵シリーズ2〉ニフェ・アテス第十五話「水中の怪物」

下り斜面はえんえん続くように思われた。ぼんやり光るオサキは、ガレキの上をちょろちょろ進んでは立ち止まり、すいっと頭を上げて振り返る。
登った時と同じようにぎごちない動きで這い進む私に比べて、ジョーはするするとしなやかに下りていく。

「ちょっと、待ってくれ。足元が……うわっ!」
「大丈夫ですか?」
「ふう。おまえさん、よくそんなに速く行けるなあ」

ジョーのらんらんと光る隻眼が、三日月型になった。うれしそうな表情をしたのだが、いつもの彼とちょっと違う感じがして、私はいささか寒気をおぼえた。
なんというか、理性の皮のむこうに野生の本能が透けて見えるような……

「習性でしょうな。この環境は私に合っているようです。なんだか体に力がみなぎってきた気がします」
「それは結構なことだ。が、くれぐれも気をつけてくれよ」
「わかっていますとも」

彼は前を向くと、はずむような足取りでまた歩き出した。今までよりも速い。何が「わかっていますとも」だ。私はついていくだけでせいいっぱいである。

ようやく、ヘッドランプの光が闇以外の景色を照らし出した。
思わず「おおっ」と声が出た。
壁だ。
ガレキの山が終わり、平らな床が見えている。その床を丸く囲むように広い壁があり、いくつもの扉がずらりと並んでいた。
扉も含めた壁一面に、楽しげな絵が描かれている。もとは鮮やかな色彩だったのだろうが、見る影もなく色褪せ、いたるところがはげ落ちていた。
なんとも言えない無残な光景である。

ひとつの扉の前に、オサキがじっと座ってこちらを見ていた。
「ここを行けと?」
オサキを見下ろすと、小さな光る案内人はつぶらな瞳で見返し「きゅー」と鳴いた。そして、ひらりと身を翻すと、二股の尾を振りながらどこかへ行ってしまった。

挿絵:服部奈々子

挿絵:服部奈々子

私は、ふところから万能銃を取り出した。片手で銃を持ち、片手でノブを回して、紙吹雪が舞っている絵が描かれた扉を開ける。
少し間を置いてから、銃を電灯モードにして、中を照らした。
天井の低い、長い通路になっているようで、例によって先は闇の中に消えている。

「行こう」

ワクワク顔のジョーを促して、歩き出した。
床はわずかに奥へ向かって傾斜しているが、平らでしっかりしている。ずっとガレキの上を這ってきたあとなので、歩きやすさに涙が出そうだった。
途中から道は緩やかに蛇行し始めた。進むに従ってカーブがきつくなる。右に左に、先が見えない通路を歩かされることにストレスを感じはじめたころ、突然行き止まりになった。

「!?」

踏みこんだ床がガクンと落ちた。尻餅をつくとそのまま、行き止まりの壁と見えたカーテンを突っ切って、我々はツルツルの床をすごい勢いで滑り落ちて行った。

「△%※&$*¥×〜〜〜〜〜〜!!!!!」

わけのわからない叫び声をあげながらくねくねした溝を猛スピードで滑り、急にフッと宙に浮いたようになった。

と、次の瞬間には自由落下が始まる。

長いすべり台の先端から投げ出されたことに気づくと、私は反射的に腕の下の風切羽根を広げた。こんなときのために、上着の袖は特殊な構造になっている。
ジョーの姿を見つけると、一直線に急降下した。
服と同じく特殊構造の靴底をひらいて鉤爪を出し、ジョーの首根っこを捕まえる。

上昇を始めたとき、下からザバアッと水音がして、何か巨大なものが上がってくる圧を感じた。視界の端に、くぱあと開いた赤い口と、恐ろしいギザギザの歯が見え——

縦穴を構成する躯体の隙間にすべりこむと、すぐ後ろを、太くて長い胴体がドォンと突き上げてゆき、しばらくすると今度は下向きに流れ始めた。

ザッパーン

遠くの水面に、大質量の塊が沈む音。
私とジョーは、しばらくへたり込んだまま呆然としていた。
やがてジョーが、床にひたいをこすりつけるようにしてお辞儀をした。

「ありがとうございます。助かりました」
「やめてくれ。当たり前のことをしたまでだ。それにしても……くそっ。オサキのやつ、なんでこんな道を教えたんだ」
「いえ、オサキはベストな選択をしてくれたはずです。おそらく、ほかの扉を開けたらもっとひどいことになっていたに違いありません」
私は急に体の力が抜け、座った姿勢からパタリと倒れた。

「どうしました!?」
「飛ぶのは消耗するんだ。普段なら大したことはないんだが、あれだけ歩いたあとだからな……」

実際、ガレキの山登りはハードで、鍛えている私でも相当キツかった。けろりとしているジョーの方がおかしいのだ。
私の心の声が聞こえたように、彼はハッと息を飲んだ。

「そういえば、休憩もしないで歩き通しでしたね。気がつかなくて申し訳ありませんでした。私が見張っていますから、どうぞお休みください」

私は苦笑した。
「ありがとう。だが、その前に腹が減った。ああ、あのいなり寿司、食いたかった……」
「まだありますよ」
「なんだって?」
私はガバッと跳ね起きた。
ジョーはニコニコしながら、リュックから漆塗りの弁当箱を取り出した。さっきオサキにあげたのと同じものだ。
ふたを開けると、うまそうな甘辛いにおいがたちのぼった。

私は震える手でいなり寿司をつかみ、口に運んだ。
肉厚の油揚げから、じゅわっと汁がしみ出す。ほんのり酢のきいたご飯を噛みしめると、白胡麻がぷちっとはじけて、香ばしさが広がる。

こんなにうまいいなり寿司は、生まれて初めてだ。

(第十六話につづく)

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