読まずに書く! ハーラン・エリスン著『死の鳥』(未読・妄想編)

死の鳥を探して Searching for the death bird illustration by Ukyo SAITO ©斎藤雨梟

読まない読書 にとっておきのタイトル『死の鳥』

今私の手元には『死の鳥』という本がある。
以前、福永武彦著『死の島(しま)』『死の鳥(とり)だと勘違いしていた話を書いた。

幻惑のアイランドバード
「島」と「鳥」はどうしてあんなに漢字が似ているのでしょう。おかげで生まれてきた妄想界の鳥と、切り離せない文学作品をひとつご紹介します。

そして最近、『死の鳥』という小説もあると知って、これは読まねばと思ったわけだ。
さほど奇抜なタイトルではない、他にいくつもあったとしてもおかしくはないが、私が読もうとしているのはハーラン・エリスン著『死の鳥(とり)』だ。

完全な「タイトル買い」で、内容はまったく知らない。書評を読んだり人の感想を聞いたりもしていないし、裏表紙にある作品紹介すら見ていない。わかっているのは、SFであるということのみ。それも、「ハヤカワSF文庫」だからSFだろうと予想しているだけで、SFといっても広義にはかなり様々なものが含まれるので、それだけで内容はあまり絞り込めない。
さて、せっかく「タイトルだけで読みたくなる」という珍しい状況に陥ったのだから、この際読む前にどんな内容か想像してみようと思う。
家族がこの本を手に取り、内容紹介を見ながら「へえ、この作者は半世紀にわたりアメリカSF界に君臨するレジェンドらしいよ、名前知らなかったけど」などとレジェンドに対して失礼千万なことを言っているのを「ふーん」(ワシも知らんわ)と失礼千万に聞き流し、それ以上の情報は入れずに妄想した。SFをあまり読み込んでいない私だが、実は作者名に関しては、記憶に少し引っかかりを感じる。カタカナ表記しか知らない海外の作家名は覚えにくいし、驚くほど面白かったりつまらなかったりしない限り、結構忘れてしまうものだ。作者について調べてみれば、レジェンドだけあって読んだことのある作品の一つくらい見つかるかもしれない。だがそれは妄想に差し障るので、調べないことにした。

というわけで、はじめます、

読まずに読書 ハーラン・エリスン著『死の鳥』妄想編

物語の舞台は未来の地球。
病気や加齢で衰え、失われる身体機能を取り戻す技術を得て、人間は長命になっている。動きにくい手足、うまく働いてくれない臓器を交換し、脳でさえ、新しいものにデータを書き換えて取り替え、健康を失う恐怖から解放されている。
人間はいつも新しいものを手にするたび、争いの種を増やして殺し合ってきたが、死と苦痛への恐怖が支配力を失ってみると、いつしか自然に争い事は減り、世界にかつてない平和が訪れた。
ただし、死がなくなったわけではない。脳のデータは少しずつ損傷し、長い時間を経れば、最終的には修復不可能な壊れ方をする。それは人の脳情報のプログラム自体と不可分なバグのようなもので、解決法はまだわからない。よって、長命になったとはいえ寿命は数百年、人によっては百数十年である。
死が稀であるぶん、人々は現代人とは比べ物にならないほど激しく死を忌み嫌う。死んだ人の脳情報を完全に消去し、遺体を埋葬するということすら、次第に人の手では行われなくなり、ある時から、人工知能を搭載した、小型の宇宙船と言えるほど大きな鳥型のロボットにその任を負わせることになる。
「死の鳥」と呼ばれるその人造飛行生物は、普段は地球の大気圏外を周回していて、人の脳が復元不能な損傷を始めたサインを読み取ると、地上に降り、死人を連れて空へ飛び立つ。死者がどのように遇されるのか、かつて「死の鳥」を作った技術者しか知るものはない。だが、その技術者はすでに亡く、「死の鳥」も自己修復を繰り返して変化しているため、もはや地上の誰一人が「死の鳥」の正体も、連れて行かれた死者がどうなるかも知らない。

平和なユートピアが描かれつつ、この辺りからすでに不穏な予感がしてくる。「死の鳥」の外見は詳しく書かれていないが、人間が忌み嫌うことをさせるために生み出された、大型の賢い鳥は、禍々しく、どこか物悲しい雰囲気を漂わせている。

さて、不穏な予感はやはり的中する。
平和な時代が続くと思われたが、衣食足り、高い知能を身につけて争わずに生きる術を身につけたのも束の間、結局人類は暴力の時代に逆戻りしてしまう。生きるため、または富のために限られた資源を奪い合っていた時代には考えられなかったほど些細なことまでもが争いの種になる。互いの弱点をつき、遠隔的に相手の脳情報だけを一気に消去する者、物理的な破壊を試みる者など様々で、発達した技術を伴う破壊はわずかな間に地球人類の大半を滅ぼしてしまう。

終盤になってようやく一人の登場人物にスポットが当たる。過疎地に住んでいたため、運良く身体には損傷を受けていないとある人間。少年の姿をしているが、実際の年齢は本人にも誰にももうわからない。生まれた時から人は争っていたし、身近な人々が、集落の外からもたらされたウイルス兵器により、スイッチが切れたように突然死ぬのを見てきた。時々、謎の機械がたくさんある部屋に入れられて、そうすると体の具合が良くなったが、その部屋ももう壊れてしまったし、部屋に入れてくれた家族もいない。

彼は平和だった時代を知らない。脳の損傷だけを原因に静かに終わりを迎える人生があったことも、「死の鳥」のことももちろん知らない。

破壊された故郷を脱出したが、どこを歩き回っても人の気配はなく、荒廃した廃墟の街が続くばかり。何とか生き延びたいという希望も失いかけて、どうしてこんな世界にいるんだろうと嘆く。どこか遠くへ行きたい。昔どこかで聞いたことのある、たくさんの生き物がいて、互いに与え合い、時に奪い合いながらも命を繋いで続く世界に行ってみたい。

だが、希望があろうとなかろうと、体が思うように動かなくなってくる。物を取ろうとした手がぶるぶると震えたり、行こうとしたのとは逆の方向に足が動いてしまうことがある。時々記憶が怪しくなり、今どこにいるかがわからないこともある。

そんな時、遠くから、大きな周期で唸るような音が聞こえてくる。次第に音は近づき、ばさ、ばさ、ばさ、と鮮明になる。空を見上げると巨大な鳥が飛んでくる。

彼はあれこそがきっと希望の地へ自分を連れて行ってくれる未来だと思う。

とはいえ、読む。読まずに読書『死の鳥』 答え合わせ編は次回!

以上のような小説だと妄想してみたがいかがでしょうか。

と言われても困るとは思う。

困るとは思うが私自身は楽しかった。

福永武彦著『死の島』を『死の鳥』と勘違いしていた時も、どんな話か少しくらいは想像したが、こんな物語は頭に浮かびもしなかった。「SFである」という先入観と表紙のイメージくらいの材料で、これほど妄想の色合いが変わるのに自分でびっくりしている。

さて、これから実際にこの本を読んでみて、次の機会に「答え合わせ編」を掲載する予定なのでその時にお会いしましょう。

みなさまにおかれましても、『死の鳥』ってどんな小説だろう?とまず妄想するのはかなり楽しいのでおすすめいたします。

ちなみに、「読んでないけど未読書感想」みたいなことも妄想で書くならば、

なかなか面白い本だった。人が平和を手に入れてもすぐに壊してしまうという経緯の描き方はやや古臭いなと感じた。だが、短編SF小説であるにも関わらず、これ以上話の展開しない終局部分、破壊された地球に残された人物の心情を、多くのページを割いて延々と描写するところには迫力があり、荒廃した大地に降り立つ「死の鳥」の物悲しいイメージが最後の一行で鮮やかに浮かぶところは見事。

といったところです。読んでないけど。

本物が妄想より面白いかどうか、妄想というものの性質上、どうしても本物に不利な勝負なことが多いわけだが、本作はどうなるか?

*冒頭の絵は「死の鳥を探して」 今回の妄想上の「死の鳥」そのものではなく、地球を周回する死の鳥というものがあると聞いて見に来た宇宙人(宇宙鳥)というイメージです。


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