誰かのために 第二十五話

【第二十五話】

浅野美奈の話によると、その日、役場に戻ってきた松野は、大事な書類をモデルルームに忘れたと言い、慌てた様子で、直接モデルルームに問い合わせをした。

「自分で直接?」

「そうなんです。南武不動産の電話番号だけは調べさせられたんですが、後は自分で聞くからいいと言って」

「へえ……」

問い合わせを受けたモデルルーム側、つまり南武不動産は、そもそもあの期間、あの部屋に、レジデンス柏の宮の住人以外が入ることを想定していなかったので、あまり深く調べず「そんなものはありません」と軽く答えた。そもそも、清掃と原状復帰は、部屋を借りた人間の義務であり、持ち込み品の紛失や管理は、不動産側に全く課されていなかったからだ。
だが、その答えに納得のできなかった松野は、「ちゃんと調べろ」とさらに追及した。
やり取りの中で、南武不動産側は、問い合わせをしてきた男が隣町の町長であることを知り、「重要な書類だ」と言われたのもあって、改めて、その時間に、モデルルームをレンタルしていた住人を調べ、その人間に書類の有無を尋ねた。他に確認のしようがなかったからだ。

「それが、中井奈央子」

「ですね」

「結局、出てこなかったみたいなんですけどね」

「そうなんだ……」

「松野と中井奈央子は知り合いだったのかしら?」

「あのモデルルームって、居住者以外が入ってもよかったんでしたっけ?」

「あー。どうだろう。でも確か、〝お誕生日会をしたい〟って言ってた人いたくらいだから、居住者の責任の下に、いいのかもしれない」

「ふーん」

「まあ、いい気はしないけどね。子供の誕生日会とはわけが違うし。素行の良くないいけ好かない政治家に、外部にあるとはいえ、私たちのマンションの共用部に入られるのは。しかもそれを招き入れてるのが……」

「中井奈央子」

小田原泉と山本善子の声が揃う。二人は顔を見合わせて、肩を竦めた。その様子を見て、梅木が尋ねた。

「その中井って人、松野の何なんだろうね?」

「さあ……。二人きりなのかな?」

「まさか、……愛人ってこと、ないよね? その中井って人」

「まさかあ」

梅木の問いに、小田原と山本が、顔を見合わせてフフっと笑った。そんな三人を見て、浅野が低い声で言った。

「……その人、たぶん、松野の愛人です。そこで密会してたんだと思います」

「えっ!」

「松野には愛人がいます。まあ、愛人と言っていいのかはわからないけど、ただの遊び相手かもしれないし。でもあの人は、少なくとも、奥さん以外の女の人とそういうこと、してると思う」

「なんでわかるの?」

「愛人らしき人と会った後って、いつも同じ香水の匂いがするんです。あれは奥さんのじゃない。実は私、松野が町長室で女の人と抱き合ってるとこを見たことがあって。部屋から出てきたその相手とすれ違ったとき、あの香水の匂いがしたんです。まさか、町長室でそんなことしてるって思わなくて、私、すごくビックリしちゃって……。あんまりじろじろ顔を見なかったから、顔は覚えてないけど、匂いははっきり覚えてます。時々松野の服から匂うやつだって。しかも、あの匂いを付けて戻った後、松野は必ず、町長室に備え付けてるシャワー室で、シャワー浴びるんですよ。その問い合わせの日も匂いがしたんです。間違いないでしょう」

「じゃ、松野の愛人が、中井奈央子?」

「たぶん、そう」

「だから三部屋とも独占してたんだね、あの人。あのレンタルルームは、中の部屋に鍵はないからね。他の人が借りたら困るから」

「でもさあ、普通、そんなところで会ったりする? 愛人と」

「しないよね」

「町内にホテルは少ないから、場所に困ってたのかもしれません。町長室で抱き合ってたことはあるけど、さすがにあそこでは……。モデルルームなら意外と安心だと思ったんじゃないですかね。まさか、そんなところで愛人と密会するなんて思わないから」

「しかもタダだしね」

「あるかも……」

「だとしたら、あいつ、やっぱりめっちゃクズだね」

「うん」

「でも、おかげで愛人の正体が掴めたから、助かったわ」

そんなわけで、松野の愛人関係の把握は、中井奈央子の見張りをすることで解決した。

彼女の行動パターンを調べたところ、松野との逢瀬が、式典当日の金曜の午前11時前後には重ならないことがわかった。
というのも、中井奈央子の夜勤明けの夫が家にいるからだ。彼女は夫が家にいる時は、松野と会うことがなかった。

残すは、表には出せない支援者回りなのだが、これについても、秘書にも把握させないほどの接待は、週末のゴルフと夜のキャバクラのみという、ベタな行動パターンが炙り出されただけで、さほど目を引く逢瀬はなく、思いのほか簡単に、平日の午前に行う式典とは重ならないことがわかった。

かくして式典当日は、予め梅木たちが、集中的に道路工事をしている箇所ばかりを通るよう決めた経路に、松野を辿らせればよい。

梅木たちは、経路を決めるにあたって主に次の点に注意して選定していった。

まず、渋滞にはまった松野は、運転手に、間違いなく抜け道を案内させようとする。
そのため、迂回路が全て一方通行ばかりのところを選んだ。
傲慢な松野は、自分が運転していないのをいいことに、一方通行を逆走することを要求する可能性もある。
ゆえに、入り口付近には、交番、小学校、保育園など、比較的常時人の目があるような施設のある箇所を選んだ。そうすることで、逆走という交通ルールに反することはできないという運転手の主張が通りやすくなるからだ。

次に、渋滞によって困るもの。
そしてそれによって渋滞から離れることを求めるもの。
トイレだ。

子どもじゃないので、我慢できないほどではないかもしれないが、あえて渋滞を作るのだから、催してしまってもおかしくはない。
ゆえに、あえて経路上に、トイレを借りることができる施設をいくつか盛り込んでおくことにした。
とにかく、式典会場に〝遅刻して〟来てもらわなければ。用を足した後は、再び同じ渋滞に突入できるよう、その施設は経路上、しかも左折で出入りできるところでなければならない。

さらに、渋滞中、それがないがゆえに戦線を離脱するものは、食料と飲み物だ。
とりわけ松野は、大の珈琲好きらしく、とにかく温かい珈琲がないと機嫌が悪くなるらしい。
それも、缶コーヒーではなく、紙のカップに入ったのを求める。

これについては、今はコンビニでも手に入れることができるので、敢えてルート上に有名チェーン店を配置する必要はない。
基本、飲み物や食べ物は概ねコンビニで間に合うことが多いので、一定間隔で、左折で入れるコンビニがある経路を設定することにした。それで、煙草問題も解決する。
万が一、「あそこのが飲みたい」と有名チェーン店のを要望されると面倒なので、それについては、あらかじめ買い置いたそこのドリップと熱湯を持参し、そうなったときはその場で淹れ立てを飲めるようにした。

そんなわけで、考えに考え抜いたパーフェクトな経路が完成した。
最終的に出来上がった経路を、浅野美奈が、道路管理課の担当者に見てもらい、細かな修正も加えることができた。

彼らは、いつも松野一に苛立ちを覚えているので、「時には、渋滞回避の逆をいって、渋滞ばかりの道を進ませてやりたい」という浅野美奈の悪戯計画に簡単に協力してくれた。
その上、〝渋滞しても迂回できなくて、左折で出入りできるコンビニがたくさんある、道の駅までの経路〟というお題に、「徹底的に渋滞にはまらせてやるんですね。いいですね! とことんやってやりましょう」と、まるでクイズに取り組む小学生のように喜んで付き合ってくれた。
さらに、臨機応変な対応ができるように、もし予定していた経路が何らかの事情でスムーズに流れていた場合として、より渋滞しやすい経路まで教えてくれた。

最後に、この渋滞ばかりを進んでわざと式典に遅刻させるという大役を務める運転手役なのだが、これは、意外な人に任せることになった。
そもそも、松野が乗る公用車のナビに、あらかじめこちらの計画したルートを辿るよう、密かに経由地をたくさん入れ込んで置き、秘書の小口に運転してもらうことにしていた。
ただ、我々の計画を知らない小口に機転を利かせてもらっても困るので、式典当日、浅野によって小口の食事にこっそり下剤を盛り、運転できなくなった小口の代わりに、浅野が運転する予定だった。

だが、松野が「女の運転で行くくらいなら、自分で運転する」と言い出した。
正しく渋滞の道をたどる案内のナビ役として、加えて下痢で戦力外になった小口の代わりの秘書として、浅野は同乗することを強く主張した。
松野が自身の車で行こうとしたので、全力で止めた。
松野はかなり渋ったが、目的地の道の駅にはアルパカがいて、彼らが散歩の途中で落としていくモノが駐車場にかなり点在しており、踏む可能性も高いからお勧めしないと言ったら、意外とあっさり諦めてくれた。

そして、遂に運命の日が来た。

【第二十六話へ続く】

(作:大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

思いがけない中井奈央子の正体。
どんどん仲間が増えていく松野町長遅刻させ隊。
着々と進む計画。
緊迫感あふれる展開の中、道の駅のアルパカで脱力させる絶妙な世界観の物語もあと少し!この後をお見逃しなく。次回をどうぞお楽しみに。

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