誰かのために 第一話

【第一話】

山本善子は困っていた。

二週間前から始まった、マンションの大規模修繕によって、自宅で開催していたオンラインのヨガ教室に支障が出ていた。

まず、ベランダに始終人が出入りするので、カーテンが開けられない。自分の背後に知らない人が映り込む様子なんて、想像するだけでも気が散って集中できない。

一般的には、防犯上、町並みのわかる背景を映すことはご法度なのだろうが、「ごちゃごちゃした部屋の中を見せるくらいなら、外を見せるほうがまし」と、山本善子はこれまで、むしろ積極的に、窓越しの風景を背景に動画を配信していた。地方の町にあるマンションの六階からの風景は、別に手がかりが豊富なわけでもなく、彼女にとっては、家を特定される恐怖よりも、家を片付ける労力のほうが苦だった。

そもそも、カーテンが開けられないということは、太陽の光が入ってこない。

ヨガ教室で最初に習うフローは太陽礼拝というくらい、ヨガにとって太陽は重要だ。

日の光を浴びるだけでリラックス効果は抜群だし、インストラクターの見た目も二割増す。南向きの全面ガラスの窓から差し込む、柔らかな日の光に包まれて行うヨガのポーズは、どれも神々しく見え、美しささえ備わる気がする。

加えて逆光のおかげで、顔の造形のみならず、シミや皺も目立ちにくくなる。シルエットでは若い子に負けないと、常々自負していた山本善子にとって、太陽の光のないレッスンはかなりの痛手だった。

騒音問題も重要だ。工事中は、とにかく音がする。

一定のリズムで打ち付けられたかと思いきや、突然けたたましい轟音が鳴り響く。そこに法則性はない。予期せぬ轟音は、樽に空いた穴にナイフを刺して、黒い髭の海賊が飛び出すのを楽しむあのゲームみたいに、心臓に悪いのだ。

いつ鳴るか、今鳴るか。ビクビクしながらのレッスンは、全く癒しにならない。

せっかくちょっといいスピーカーから、アルファ波の出るヒーリングミュージックを流しているのに、突発的な工事の音は全てを覆う。何かを打ちつける時に出る高い金属音は脳に響き、癒しとは逆方向へ心を運ぶ。

レッスンの最後、リセットポーズとして用いられるシャバーサナを行うときにそれが鳴ると、一時間のレッスンでみんなの心に満たしてきた、癒しや整調の全てを掻き消すほどの破壊力を持つ。

シャバーサナは死体のポーズと言われる。

レッスンの終わりに心身ともにリセットするため、死体になって土に還る自分の肉体を一心に想うとき、あの金属性の破裂音と打撃音の無限ループはかなり辛い。

無になるためには、無音もしくはリラックス効果のある音は、マストなのだ。参加者たちが、たとえ実際は、死にゆく姿を瞑想しているのではなく、死んだように寝ているだけなのだとしても。

そう。寝れないのだ。

あの金属音は入眠を全力で阻止するのだ。

工事が始まったこの二週間で、レッスンの参加者は大幅に減った。

最初は「工事なら仕方ないですね」と許容してくれた数少ない常連からも、次第に予約が入らなくなっていた。

(これはまずい。なんとかしなくては……)

山本善子は専業主婦だったので、別にレッスンがなくなって稼げなくなっても、食べる分には困らなかった。元より大して稼いでもいなかった。

けれども、今や彼女にとって、このレッスンは大切な自己実現の場であったし、家事を手抜きできる言い訳にもなっていた。献立作成をサボるためにも、気に入った少し高価なヨガウェアを夫に遠慮なく買うためにも、レッスンを続ける必要があった。

(まだ始まって二週間で、足場を作ってるだけなのに、この音か。この先、本格的に工事が始まったら、いったいどれくらいの音がするのかしら。やっぱり、もうこれ以上自宅でレッスンするのは難しいのかな……)

山本善子は、町中にあるスタジオや町の公共施設を使ってそこから配信することも考えたが、通信環境が整っていなかったり、いかにも公民館的な感じで見栄えや設備が悪かったり、ちょっといいと思うと利用料が異様に高かったり、そもそも公共施設では、町が認める登録講師にならないと生徒に料金を請求する教室を開くことができなかったりで、どれも現実的ではなかった。

山本善子は途方に暮れていた。

(できれば無料で借りられて、自宅にいるみたいにリラックスできて、設備も整っていて、Wi-Fiなどの苦手な配信作業にストレスを感じなくて利用できるところ、どこかにないかしら?)

そんな都合のいいところをいくら探しても、この町で見つかることはおそらくないだろう。

努力することも妥協することも諦めることもできない山本善子は、とりあえずいったん考えるのを止めて、明日収集されるゴミでも出しに行くことにした。

一階のゴミ捨て場にゴミを収めて、部屋に戻ろうとしたとき、エントランス横のスペースにふと目が留まった。

そこには、住人の車を停める駐車場の他に、住人であれば誰でも申請できて、空いていれば無料で借りることができる、短時間利用の駐車場があった。主に、住人の来客用の駐車場なのだが、ゆっくり荷物の出し入れをしたいけど立体駐車場では困難なときや、宅配業者の車や他の家の車で車寄せが占拠されて停車するスペースがないときなど、便利に使っていた。

数が少ないので、来客の多そうな週末の日中とか、タイヤ交換の時期は結構争奪戦なのだけど、一時間以内の利用なら、さほど苦も無く借りることができた。

(そうだ! この駐車場みたいな貸し部屋って作れないのかしら)

山本善子は、工事期間、マンションのエントランスに目安箱のような意見ボックスが設置されているのを思い出した。

そこで、この二週間で身の上に生じた問題を端的に説明すると共に、工事期間限定で、来客用駐車場のような住人専用の時間制のレンタルルームの導入を希望する提案書を投函した。

赤ちゃんのお昼寝に困っているお母さんとか、リモート会議をしなくてはならない会社員とか、静かに読書したい人とか、意外と用途はあるのではないか、と書き添えて。

山本善子が、淡い期待を抱いて意見ボックスに例の投函をした日から約一週間後、各戸にマンションの臨時総会のお知らせが投函された。

どうやら、パンデミックに起因するリモートワーク推進による日中在宅率の高さから、彼女同様、騒音によってさまざまな支障が生じた住人が他にもいたらしく、管理会社に意見や苦情が寄せられていたようだった。その中で、住人専用の時間貸しのレンタルルームを提供してほしいという山本善子の案は、比較的建設的な意見として受け止められ、住人の議決を求めてみようということになったらしい。

この報を受けて喜んだのは、このレジデンス柏の宮205に住んでいる小田原泉だった。

彼女は、間もなく来たる退職後の暮らしを見据え、趣味の陶芸を思う存分楽しめるこの町に、三年前に移住してきた。

彼女の職場は、この町から電車で二時間ほど離れたところにある都心の大学で、そこで彼女は長年、コミュニティ心理学を教えていた。遠距離通勤を始めて二年ほどしたとき、例のパンデミックが起こった。

大学構内での授業は停止され、一部の実習系を除いて、全ての授業がオンライン配信に切り替わった。新学期の始まる僅か一週間前にそれが決まり、慣れない操作に四苦八苦しながら、学生の顔も反応も板書もない100分間のオンライン向けの授業を一から全て作り直すことは確かに大変だったけれど、その一方で、電車や講義室で人と会わなくていられる生活は、得体の知れない病に感染する不安を幾分和らげることができた。

あれから一年半経って、ようやく不慣れな授業にも慣れ、通勤のために要する時間的な制約からも解放され、退職までの残り半年、このままオンラインだけでもいいと思うほどに、彼女の生活からオンラインは切り離せないものになっていた。

(朝起きて、珈琲飲みながらパソコンの画面を開いたら、そこはもう教室だなんて、まるでどこでもドアみたいじゃない。まさか自分が生きている間に、どこでもドアを潜ることができるなんて、思いもしなかったなあ……)

そんな彼女にとっても、自宅の書斎で、同時双方向のテレビ会議ツールを用いて授業をするに際し、工事の音はかなりのダメージだった。

まだ工事が始まって一カ月も経っていないけれど、学生からの「工事の音を何とかしてほしい」「教授の声が聞こえづらい」の苦情は、彼女のみならず大学の教務課宛てにも早々に届いていて、早急に改善策を示すよう言われていた。

(やはり大学に行って研究室から授業するしかないか……)

通勤時間の拘束から自由になった今、感染のリスクに怯えながら、またあの長い時間、乗り心地の良くない列車に乗って通うなんて、考えられなかった。

(大学まで行かなくても、この辺りでどうにかできないかしら)

臨時総会の知らせが届いたのは、そんなふうに思った矢先だった。小田原泉は、躊躇うことなく、次回の総会に初めて出席することにした。もちろん、賛成の票を投じるために。

【第二話へつづく】

(作:大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

大日向峰歩さんの小説『誰かのために』第一話、いかがでしたでしょうか。オンラインのレッスン、会議、などが止むに止まれぬ事情で増えてきたあの頃のできごと、舞台は日本のとある地方の町。のどかそうな町で何かが起こりそうな不穏な予感が早くもしますが、さてどうなる?

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