潮時 第十一話

八島ヶ原湿原の日の出

【第十一話】

かっぱえびせんの〝限界の際〟を見たら、次は読書にチャレンジすることにした。
図書館で借りる漫画は、ページの間に、お菓子のカスとかがやたら挟まってるからあんまり好きじゃないし、一気に読もうとしても、大抵、誰かが途中の巻を借りてて続けて読めなくて、逆にイライラするから、今回は本でやってみた。

夏休みのある日、お父さんに車で市の図書館に連れてってもらって、本棚にある気になる本を片っ端から机に並べてさらに厳選して、最終選考を通過した十冊をまとめて借りた。
十冊というのは、この図書館の貸し出しの上限。
学校の図書室では、普通一度に借りられるのは二冊までで、一週間以内に返さなきゃいけない。夏休みとかの長期休みの時だけは五冊までに増えて、次の登校日までに返却しないといけないのだけど、市の図書館は、普通の時に十冊も借りられるんだと知って、びっくりした。

お父さんは、両手に十冊抱えるわたしを見て「そんなに読めるのか? 二週間で返すんだぞ」と言って何冊か借りるのをやめさせようとしたけど、わたしは「いいの」と言って手放さなかった。

家に帰ってからは、「本を読みたいから邪魔しないでね」と宣言して部屋に籠って、家族のタイミングと合わせなきゃいけないごはんとお風呂の時間以外は、トイレに行く時も、台所に飲み物を取りに行く時も、本を持ったままでずっと読んだ。

タイトルとかを聞いたことがあったりして前から読んでみたかった本以外は、ほとんど表紙とタイトルと書いた人の名前だけで選んだから、予想と違って面白くないのもあった。
飽きてきたら一度その本を読むのをやめて別の本を読み始めたりして、あちこちつまみ食いみたいにして読んでたら、段々わかんなくなってきて、このやり方は駄目だと思った。

だから読みながら飽きてくる本は「面白くない」とぱっさりと切り捨てて、そうじゃない本だけを読むことにした。
でもそれが普通だよね。最初からそうすべきだった。
前に「途中つまらなく思えても、読み進めると面白くなる本もある」と言われたことがあったから諦めなかったけど、我ながらバカみたい。って、もしかしたら、諦めて読まなかった先にものすごい面白い展開があったりして、損しちゃうのかもしれないけど、いいの。今日は。これで。

学校に行くとか予定があると、その時間に合わせて寝たりしなきゃいけなくなるから、最初から、読書の限界に挑戦するのは夏休みと決めていた。

家族が起きてる時間は、やっぱり家族の時間に合わせたりしなきゃいけなくていろいろ面倒くさいので、できるだけみんなが寝静まった時間に集中的に読書した。

そうしたら誰にも何にも邪魔されずに本を読めると思ったけど、やっぱりトイレには行きたくなるし、喉も乾く。蚊が入ってきたりして、それどころじゃなくなることもある。
蚊の羽音って、静かな時はすごく気になるよね。いつもなら刺されて痒くなって初めて、蚊がいることに気づくくらいなのに。

面白い本を読んでる時とか、最初のうちは集中できてよかったんだけど、ずっと同じ姿勢でいると、さすがにお尻とか痛くなってきたりもする。だから定期的に立ったり、部屋の中をうろうろ歩いてみたりする。もちろん、本からは目を離さずに。

みんなが寝静まった夜遅くに、本を読みながら階段を歩くと転げ落ちそうになるし、幽霊が出るんじゃないかって思って怖くなったりもする。
本から目を離さずにコップに麦茶を注ぐと、大抵零れて拭かなきゃいけなくなったりする。
しかも、そうやって何かをしながら読んだ後は、文章が全然頭に残っていないような気がして、結局読み返さなきゃいけなくなったりするんだよね、結局。

そんなわけで、十冊借りたけど返却期限までに最後まで読めたのは、半分よりちょっとだけ多い六冊だった。

その六冊だって〝やめられない、止まらない〟状態で、集中して一気に読めたのは、子ども図書のコーナーにあった数冊で、それ以外の大人のコーナーにあったやつは、何度も行ったり来たりしてどうにかゴールした感じ。

何とか読み終わったけど、正直なところ、中身は全然覚えてない。
大体フリガナもついてないし。読めない漢字は前後の文脈からなんとなく意味を想像して読むけど、読み飛ばしてるのと変わらないから頭に入ってなくて、「これ、なんだっけ?」みたいになるし。里奈ちゃんには「読んだ」って言ったけどね。最後の文字まで辿り着いたのはホントだし。嘘じゃないから。

でもね、やってみて思ったの。
内容的にも、からだ的にも、記憶的にも、適当なところで一度読むのをやめてまた読んでというのが、実は一番長くかつ早く読めて、頭に残る本の読み方なのかもしれないって。

ずっと集中しながらそれをやり続けることって、わたしが思ってたよりずっと難しい。
ごはんやトイレや水だけじゃなくて、暗くなったら電気つけたりもするしね。その時絶対、本から目が離れるわけだし。
まあ、そんなこと何にも考えずに夢中で読み終わっちゃうような本もあるけどね。それは特別な本ってことで。

つまり、やめられない止まらないの終わりは、思っていたよりずっと手前にあるのかもしれないってこと。もし止めずにし続けたとしても、それは結局残らない。残らないってことは、やってないことと同じ。過ぎたるは及ばざるが如し、だっけ。まさに、それなんだよ。

そしてそれは、あつ森も同じ。
あつ森の場合は、本体の充電の問題とかもあるし。そもそも充電が切れたら使えないから。もっと〝ずっと〟はないんだよね、たぶん。
トイレ行きたいとか喉が渇くとかの、わたしだけの都合だけじゃなく機械の都合も入ってくるから。
そういう意味ではLINEもそうなのかも。
わたしの都合だけじゃなく、相手の都合がある。「今、ここではやめないで」という都合。あるいは「今、ここでやめて」という都合。その二つがビタッと噛み合うことなんて普通ないから。もし合ったらそれはたぶん奇跡。

ただ、あつ森の場合は、それでもわたしが止めたいと思えばブチって切ることができるし、続けたいと思ったらボタンを押し続けることができるけど、そして、たとえそうしても、別に次に気まずい思いをしたり、ハブにされたりしないけど、人の場合はそうはいかないよね。

だとしたら、やっぱり一番LINEが面倒だし、やめられないんだと思う。
サリーさんにそう愚痴ったら、相変わらず突き抜けた返答が来た。

「夏恋ちゃんは、その子に飽きちゃった?」

「えっ? そんなこと、ないよ」

「その子のこと、好き?」

「まあ、普通に」

「普通、かあ」

「うん。ただのクラスメートだもん。普通に好きってだけだよ」

サリーさん曰く、飽きてなかったら、人は、いつまでも好きな相手のことを知ろうとするらしい。寝なくても、食べなくても。だから、やり取りが億劫になってきたら、それは飽きてきてる証拠なんだって。

「でも次の日も学校だったりするし、いろいろやることもあるでしょ。LINEばっかりできないよ。飽きたからやらないってんじゃなくてさ、そういう事情もあるでしょう?」

「はあ。夏恋ちゃんのほうが大人だわ。私なんて全然ダメ。相手が返してくれる限り、反応しちゃうんだろうな、寝落ちさえしてなければ。会社勤めの時なんて、仕事中も返してたかも。ダメ社員ですわ。まあ、今は山に籠っちゃうから、さすがにそういうわけにはいかなくなったけど」

そう言って、サリーさんはワハハと笑った。

「そうだ。じゃあさ、山に行く? 電波入んないからやめられるよ」

「LINEを止めたくなる度に山に行くの? そんなの、無理じゃん」

「ああ、そうだね。確かに」

「もうっ! サリーさん、適当なんだから」

「ごめんごめん。でも真面目な話、好きなことってずっとできるような気がするけど、結局は飽きちゃうよね。そんなこと、ない? いつ飽きるかのタイミングが、人によって、ものによって、ちょっとずつ違って、数年後の人もいれば、数日後の人もいるってだけで。でも、終わりはくるのよ。それが、とりあえずの終わりになるのか、永遠の終わりになるのかは、わからないけどさ。だから、どんなにターンが続いたとしても、それには終わりがあるのよ」

「……つまり、里奈ちゃんがわたしに飽きるのを待つってこと?」

「違う違う。待たなくていいの。どうせ飽きるんだから。それが今か、来月かはわからないけど。だから、待つ必要なんてないのよ。相手のタイミングなんてわかりっこないし、コントロールできるものでもないじゃない? だから、あれこれ考えず、自分の都合でやめたらいいんだと思う」

「そうなのかな……。そんなことしたら、嫌われちゃったりしない?」

「まあ、夏恋ちゃんの年頃なら、気にしちゃうよね……。でもさ、もし嫌われたとしても、それは、夏恋ちゃんがすぐ返さないから嫌われたんじゃなくて、里奈ちゃんが夏恋ちゃんに飽きたんだなって思えばいいんじゃない? 〝ああ、その時が来たんだなあ〟って」

「えーっ、それはそれで悲しいよ」

「そう? 飽きたって、もしホントに好きだったら、しばらくしたらまた戻って来るんじゃないかな。かっぱえびせんと同じだよ。時々無性に食べたくなったりするし、久しぶりに食べても、やっぱりおいしいでしょ?」

「まあね。でも、自分からはやっぱり難しいよ。後から気まずいし」

「そうね……。毎日会うもんね、気まずいか。蒸し返しちゃうけど、そういうのも含めて、山ってホント便利なんだよな。なんたって、物理的に繋がらないからね。返せなくても仕方ないじゃん。間空いちゃうことで、次にメッセージを送る時の気まずさみたいなのがもしあったとしても、夏恋ちゃんがまた話したいなって思ったら、〝ただいま。電波のあるところに戻って来たよ〟って書いて、その山の旅で夏恋ちゃんが一番胸を打たれた風景の写真を一枚だけ付けるの。もし里奈ちゃんも同じ気持ちでいてくれたら、すぐ返信くれるよ。なんなら別に、山の写真じゃなくてもいいのかもしれない。町の中で見つけたものでも。要は、なんでもいいの。言葉であれこれ言う代わりに、写真を一枚。で、送ったら返事を待たない。ここ、ポイント。待つことって意外と難しいんだよ。だから、待たずに忘れるの。忘れた頃に返事が返ってきたら嬉しいし、その時に、その嬉しいって気持ちを伝えればいいんだと思うよ」

わたしは、サリーさんとの前のやりとりをずっとスクロールした。
探していたのは、朝日が夜空の星みたいに輝いて一本の木を照らした写真。

それは、まだやり取りしてすぐの頃に送られたもので、IDを交換したものの、歳が離れすぎてて、今みたいになるなんて想像できなくて、「よろしくお願いします」のスタンプの後、暫く何もやり取りがなかった後に、ひょろっと届いたものだった。
わたしはその写真を見た時、この人ともっとお話ししたいと思って、目がウルウルしてるお気に入りのキャラクターのスタンプを入れたのだ。

「ねえサリーさん、夏休みが終わる前に、山に連れてってくれる?」

「いいよ。どこか行きたいところ、ある? でもごめん。私はもう限界。寝ます。よかったら、夏恋ちゃんの希望を書いておいて」

カーテンの隙間から朝日が零れていた。
わたしは、寝ぼけパンダが「おやすみ」と言ってるスタンプを1つ、そこに入れた。

【第十二話へ続く】

(作:大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

大日向峰歩作『潮時』第十一話、いかがでしたでしょう。今回で夏恋(という名前でした!)のお話はおしまいです。悩みの「質」が軽めとはいえ、冷静に計画を立て、実行し、自分の「やめ時」を早くも体得するという頼もしい展開に「へぇ〜」と驚いた方も多いのでは(私もです)。しかし思い返すと、「似たような悩み」でも、経験を積むごとに重みを感じるようになり、軽やかに対処できなくなることも多いですね。夏恋のこの先の人生に想いを馳せてしまいます。さて今後はエッセイを一度はさみ、『潮時』の新章が始まります。次回もどうぞお楽しみに。

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