【第四話】
山本善子は、憤っていた。
彼女が提案し、遂に実現した、住人のための件のレンタルルームが、ずっと貸し出し済みになっているからだ。
レンタルルームの予約が解禁になったその日に、いそいそと部屋の予約をしに行ったところ、既に、一カ月先まで、全日三部屋とも予約されているのだ。
(……何? これ)
山本善子は、一瞬、頭が真っ白になった。何が起こっているのかを理解するのに、少し時間がかかった。
予約のためのタイムテーブルには、三部屋とも、日付や時間の枠を超えて、大きく〝410 中井〟と記されていて、他の人が借りることができない状態になっていた。
こんな理不尽なことがあるのだろうか。
このタイムテーブルの表記を見る限り、予約ができるこの先一カ月は、全て、レンタルルームは三部屋とも、410の中井家が占有することになる。レンタルルームの貸出は、大規模修繕による工事の騒音対策なのだから、工事が行われている平日の朝八時から夕方五時までの間しか借りることができないけれども、その時間全て、マンションの住人なら等しく享受できるはずの自由が全て、あるひとつの家族に奪われているのだ。こんなことになるとは、山本善子は想像もしていなかった。
(なんなの! この中井って人。許せない!)
どんどん怒りが満ちていく。
(大体この文字だって、やけに四角張ってる割には丸文字みたいで、トメハネもなければ、点画もだらしなくて、接ぎが甘くて隙間だらけだし。育ちや性格の悪さが滲み出てるのよ。絶対、ろくな人間じゃないわ)
山本善子は筆跡診断ができるわけではない。彼女の見立ては、完全に、極めて断片的な個人的記憶に基づく、根拠のないただの偏見なのだが、それほどまでに彼女は憤っていた。
予約表をどれだけ眺めても、現行のルールが適用される限り、この先一カ月、山本善子が部屋を借りることはできない。だけど諦めきれない山本善子は、その決して上手とは言えない文字を睨み続けていた。
「……あの、それ、いいですか?」
声をかけてきたのは、小田原泉だった。
「え?」
「それ、レンタルルームの予約表ですよね? 記入したいんです」
「ああ。すみません」
山本善子は、おそらく鬼の形相をしていた自分の姿を想像し、知らない人にそれを見られたことが恥ずかしかった。だから、このタイムテーブル上で今起こっている理不尽なことを知らせることなく、予約表であるタイムテーブルを差し出した。
小田原泉は、それを受け取って唖然とした。
「……これって。あの、どういうこと、でしょう?」
「はあ。そうなんです。埋まってるんですよね、全部」
「……えっと、中井、さん?」
「いいえ、違います! 私は、603の山本と申します」
「あ。そうでしたか。すみません」
小田原泉は、呆然とした面持ちで、例の表を見た。
「……これ、もう全部、貸し出されちゃったということですかね。それも、中井さんっていう方、お一人だけに」
山本善子は頷いた。
「一カ月、全部? えー。これは、なかなかですね」
「おかしいですよね」
「なんか、理由でもあるのでしょうか?」
「わかりません」
「困ったなあ……。これは想定外でした」
「私もこれ見て、驚いちゃって。……実は、私、このレンタルルームの提案者なんです」
「あ、そうだったんですか」
「こんな変な提案だったけど、実現して、皆さんにも喜んでいただいて、嬉しかったんです。でも、まさかこんな人がいるとは思わなくて」
「確かに……。私も、とても喜んでたんですよ。いい提案をしてくださった方がいて本当に助かったんですけどね。……この、中井さんっていう人は、どういう方なのでしょうか?」
「さあ……。私、このマンションができた時から住んでますけど、同じフロアならともかく、違うフロアの人だし。全くわからないです」
「そうですよね……。会うこと、ありませんもんね」
「これだと、提案した意味、なくなっちゃいますね。……私、明日、管理会社に連絡して、対応策を聞いてみます」
「ありがとうございます。お願いします」
「問い合わせの時に、他にも利用したい方がいて、困っておられたと管理会社に伝えたいので、もしよかったら、お名前うかがってもよろしいですか?」
「あ、もちろん。私は、205の小田原と申します」
「小田原さん、ですね。ありがとうございます。明日話してみます。改善策が取られるといいのだけど……」
「ええ。そう願ってます。よろしくお願いします」
【第五話へ続く】
(作:大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
小事件、勃発です。
各人のモラルに任せた運用にも、今や利己主義者の集まりとなったこの町にも、山本善子が何となく抱いていた不安が、こんな形で表れるとは。予想を上回るやり方で和を乱す人は必ずいるものではありますが、それが必ずいい具合に解決するとは言えないところが争いのなくならない所以です。さて、レンタルルームのこの先、どうなることでしょう。続きをどうぞお楽しみに。
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