心を紡いで言葉にすれば 第4回:嘘の海で泳いでみたら

8080号室で綴られるもう一つの文章、小説『誰かのために』のほうは、緊張感漂う展開になり、「あいつがなんて発言するのか気になる!」という状況ではあるのですが、今週はエッセイを。なぜなら今日は、エイプリル・フール。嘘にちなんだお話をひとつ。

思い返せば幼少期、よく嘘を吐いていたような気がします。

まだ片付けが終わっていないのに「済んだ」と言い、ピアノの練習をしていないのに「した」と言い、台風で急遽休校になり帰宅させられた後、鍵っ子なのをいいことに喜び勇んで遊びに出かけ、真正面から吹き付ける暴風で息ができなくなって、体がちょっと浮いて、後ろに押し戻されて、〝さすがにこれはやばいぞ〟と思い戻ってきたのに、「ずっと家でお留守番してた」と言いました。
当然、全てすぐばれて大目玉を食らうことになるのだけれど、あまりにすぐばれる嘘ばかり吐いているので教育的配慮からか、親も途中からは私を〝泳がせる〟作戦に出たようです。

嘘の海を泳いでいると、一つの嘘を守るために別の嘘を吐かなければならなくなり、嘘で嘘の上書きをし続けなければならず、私は溺れました。

そして気づいたのです。嘘は苦しい、ということに。

以来、嘘を吐くのが苦手です。
幼少期に味わった、あの息苦しさを思い出すからです。

それでも、自分や誰かの何かを守るために、どうしても嘘を吐かなければならないこともあります。そういう時は、ほんの少しの本当を混ぜるようにしています。本当を混ぜると、少し息が楽になるから。まるで、嘘の海に浮かぶ、本当というあぶくを吸えたみたいに。そうして、モノトーンだった海に色がつく。世界が急に色を帯びる。
リアルに描きたいのにそうすればそうするほど、誰かを傷つけてしまうかもしれない、そんな小説を書いている時も、この方法は役に立ちます。自分の中に確かにある記憶と思いをフィクションの世界に混ぜる。こんなやり方でしか、私は綴れないのかもしれません。

そうして吐いた嘘が、いつの間にか本当になることもあります。どこまでが嘘で、どこからが本当なのか、わからなくなるからなのかもしれません。あるいは、最初は嘘だと思っていたものが、気がつくと本当に変わってしまう、ということもあるようです。

愛しい人が作った料理を美味しくないのに、傷つけたくなくて美味しいと言った。優しい嘘です。愛しい人が料理人を目指すならその嘘は優しくないかもしれない。けれど、そうじゃないなら吐いてほしい。

心理学では、嘘というのは認知要素間の矛盾と捉えることができます。この場合、「美味しくない」と思った認知と「美味しい」と言った行動との間に矛盾が生じています。
この矛盾を〝不協和〟と言います。不協和は、居心地の悪さや罪悪感、噓がばれた時の焦りや不安など、人に不快な緊張状態をもたらします。確かに嘘を吐くとモヤモヤする。あのモヤモヤは不協和、なのです。

不協和を感じ続けるのは、かなりのストレスです。
だから人は、それを失くそうとして、ある行動に出ます。それが態度変化です。
「美味しい」と言ってしまった行動は変えられない。その行為には相手があるから。結果としてそこにある事実だから。だから人は、自分の心の内にある「美味しくない」と思った認知を変えようとする。「いや、意外と美味しかったよ」とか「初めてにしては美味しくできたほうだったよ」というように。

人の心が変わる時、その背後には不協和が存在します。矛盾によって人は、気持ちを変化させるのです。
その時、嘘は本当になります。
食べたいのに食べられない葡萄を、「酸っぱい葡萄だから食べなくてもいいんだ」と思い込み、通り過ぎた狐にとって、実際に葡萄が酸っぱいか否かはどうでもいい。「酸っぱい」という嘘が、その葡萄を取らずに去った狐にとっての本当なのだから。

人間の態度変化のメカニズムを説明する、この『認知的不協和理論』は、もう一つ、人の行動における新たな気づきをもたらしてくれました。

私たちが何かをする時、その何かに対する〝態度〟があります。
「好きだから会いに来た」も「会いたい。だって好きなんだもん」も、好きという態度があるから、会いに行くという行動が生じるのです。
つまり、態度は行動に先立つものと考えられます。

けれど、〝暫く会ってない〟という行動によって〝もうさほど好きじゃない〟という態度に気づくこともあります。
この場合、態度は必ずしも行動の先に立つものではありません。むしろ、態度が後からついてくる。行動によって自らの思いを知ったり変化させたりするのです。

私たちは意外と、自分の本当の気持ちなんて知らないのかもしれません。

そのように考えると、最初は嘘だと思っていたものを吐き続けることによって、「そう言った」という事実によって、嘘ではなくなることも大いにあるわけです。

嘘から出た実は本当なのです。そういえば、嘘についてはこんな諺もありました。
嘘は誠の皮、誠は嘘の骨。
嘘と誠は表裏一体なのです。

皆さんは今日、どんな嘘で人を驚かせるのでしょうか。
……あ、ここで書いたことは嘘じゃありませんよ。念のため。

(by 大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

4月1日はホテル暴風雨の設立記念日です。本日で8周年!
続けていれば心しか泊まれないホテルもいつか「骨」を得て身体も泊まれる三つ星ホテルになることでしょう。
ところで、嘘と真実が矛盾するのは当然ですが、手だれの嘘つきともなると嘘Aと嘘Bが矛盾して困るみたいなことも起こるのではないでしょうか。そういうときもやっぱり「認知的不協和」は起こるの? 教えて峰歩先生!

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