はいのサイさん 後編

はいのサイさん後編 illustration by Ukyo SAITO ©斎藤雨梟

こちらは大日向峰歩作・童話『はいのサイさん』後編です。
前編はこちらです。

【後編】

最初のうちはまだ、なだらかな坂道が続いていました。

わたくしは息を切らしながら、なんとか坂を上がりました。
やがて、胃のほうからあがってくる道と合流するあたりで、道は、にわかに険しくなってきました。そしてついに、かべのようながけが、目の前に現れました。

「うへえ! ここをよじ登るのかあ。こんなの、もはや坂じゃねえぞ……」

でも、ここでくじけるわけにはいきません。
わたくしは、昔とったきねづかで、クライミングをすることにしました。
実はわたくし、若い頃は、セブンサミットに挑む登山隊のメンバーに選ばれたこともあるのです。エッヘン。
(……荷物持ち、としてではありますが)

わたくしは、そのあたりに落ちていたビスケットのかけらを、ロープの先に結んで、なげわのようにぐるぐると回して、えいやっと上のほうへ投げました。

「いてえ!」

ビスケットがついたロープの先が、わたくしの頭の上にゴツンとあたりました。失敗です。
今度はもっと強くぐるぐる回して、えいやっと投げました。ロープは落ちてきません。どうやら成功したようです。

「しめしめ。うまくひっかかってくれたようだ」

わたくしは、反対側のロープの先を、おなかのあたりに巻きつけて、ギュッと強く結びました。命づなの完成です。
これで、もしも落っこちそうになっても、だいじょうぶです。
わたくしは、わずかなでっぱりを探してつかみながら、ついにがけをよじ登り始めました。

「さんてんかくほ。さんてんしじ」

これは、がけを登るときの、秘密のじゅもんです。
このじゅもんを唱えると、うまく登れるのです。みなさんもぜひお試しください。でも秘密ですから、くれぐれもご内密に。

「おおっと危ない。さんてんかくほ。さんてんしじ」

途中、何度か危なく落っこちそうになりましたが、命づなとじゅもんのおかげで、なんとか落ちずにすみました。

がけの先は、また、なだらかな坂道になっていました。
がけに比べれば、こんな坂道、なんてことありません。足取り軽く、我ながら、さっきとは別人のようです。

かくして、わたくしはどうにかこうにか、問題の〝固くて丸いものがつかえている場所〟にたどり着きました。

到着して、それが何か、わたくしにはすぐわかりました。
なぜならそれが、わたくしの大好きな〝においのもと〟になっていたからです。

そこには、固くて丸いしょうゆ味のせんべいが引っかかっていたのです。

「ああ、いい匂いだ。これでもっと空気が入ってきたら、いいのになあ」

わたくしは、とりあえずせんべいの真ん中あたりに、ドシンと体当たりをしてみました。
せんべいのかけらがポロポロと落ちて、少し向こうが見えました。
そこでもう一度、今度は少し助走をつけて体当たりしました。
バリバリッと音がして、ちょうどわたくしのツノの大きさぐらいの丸い穴が開きました。そして、その開いた穴から、空気が入ってきました。

「ほう……。うまい空気だ。こりゃいいな」
久しぶりのごちそうにわたくしは大満足して、たらふく食べた後、まんぷくになって、その場で寝てしまいました。

「ちょっと、ねえ、ちょっと」

どのくらい寝ていたのでしょうか。穴の向こうからの声で、目が覚めました。

「こんなところで寝ていちゃダメでしょう」

確かに聞き覚えのある、妻の声なのですが、なんだか様子が変です。
ぼんやりかすんで、まわりがよく見えません。

「おお。その声は、もしかしてお前か? でも、しばらく顔を見てないうちに、なんだか別人みたいだな。女優さんみたいだ」

「あらそう? ありがと。あなたは、ちょっとおじいさんになったわね」

「おじいさんだと! しっけいな」

この、憎まれぐちは、まちがいなく、妻です。

「そんなことより、早くこれをくずさなきゃ」

「この穴から十分空気が入ってくるから、これ以上くずさなくてもいいよ。しかも、こうしておけば、いつでも大好きなせんべいの匂いつきの空気が食べられるし」

「何言ってるのよ!こんな穴じゃ、ちょっと丸いかたまりが入って来たら、すぐふさいじゃうわよ。ちゃんとくずしておかないと」

「めんどくさいなあ」

「ほら! がんばって」

妻に逆らうといろいろとめんどうなので、仕方なく数回体当たりしました。
せんべいはバリバリバリッと音を立てて、くずれ落ちました。

「これで安心ね」

妻はそう言って、せんべいがくずれたときに出た、オーナーの大きな咳に乗って、びゅんと家に帰っていきました。

わたくしのほうは、のそのそと来た道を戻りました。
坂道もがけも、上りにくらべれば、下りのほうは楽チンです。

ただ、がけを下りるとき、ビスケットつきの命づなをもう一度おなかに巻きつけようとして、ちょっと苦労しました。
せんべいの匂いつき空気を食べすぎて、おなかがふくらんでしまい、ロープの長さが足りなくなりそうだったからです。おなかをぎゅっと引っ込めて、なんとか、ぎりぎり結ぶことができました。

がけの途中に、わたくしの眼鏡が引っかかっておりました。
どうやら、よじ登るときに、落としてしまったようです。
むちゅうで登っていたので、眼鏡を落としたことに気がつきませんでした。
どうりで、周りがぼんやりかすんで見えたはずです。妻の顔が女優さんのように見えたのは、きっとこのせいですな。

そんなこんなで、お気に入りの座椅子に戻った頃には、すっかり疲れてしまって、座るやいなや寝入ってしまいました。
いい匂いがしてふと目覚めると、ほのかに焼きぐりの空気が漂っていました。

オーナーが、焼きぐりを食べているのかもしれません。
わたくしは、「せんべいの匂いつきの空気もいいけど、やっぱり焼きぐりもいいな。妻が言うとおり、あれはくずしておいてよかったな」と思いました。

【終わり】

(作:大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

「はいのサイさん」今回の後編にて完結です。いかがでしたでしょうか。
サイさん、オーナーさんの健康のために……じゃなくて、おいしい匂いつきの空気のために大冒険(中冒険くらい?)をしました。さんてんかくほ、さんてんしじ。内密で覚えておかなくては。おかげで戻ってきた快適な生活の、なんてささやかで、贅沢で、すばらしいことでしょうか。サイさんの膨らんだお腹の重量感が、日常の幸せの手ざわりとして伝わってきませんか。ご感想、お待ちしております。
次回もまた、どうぞお楽しみに!

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