はいのサイさん、ふたたび 後編

この物語は、「はいのサイさん」の続編的なお話「はいのサイさん、ふたたび」の後編です。
前作「はいのサイさん」からお読みいただくと、より楽しめます。
「はいのサイさん、ふたたび」の前編はこちら、中編はこちらです。

「はいのサイさん、ふたたび」大日向峰歩作 illustration by Ukyo SAITO ©斎藤雨梟

【後編】

わたくしたちは、これまで、一度も一緒に暮らしたことがありません。

これまでも、奥さんの特大くしゃみや、オーナーの咳で、妻がこっちにやって来て帰って行くことはありましたが、いつも短時間の日帰りで、泊っていくことなどはなかったのです。

結婚以来、お互いずっと勝手気ままな一人暮らしをしてきたので、今回のことで始まった、この肺ひとつでの共同生活は、さすがにストレスがたまりました。
とはいえ、皆がマスクをつけている今の状況では、帰りたくても容易に奥さんの肺に戻ることもままならず、あの恐ろしい外の世界に放り出されるくらいなら……と、妻もしばらくは、しおらしく暮らしていました。

そもそもこの同居のきっかけにもなった〝マスクによる、空気の流入減少問題〟については、結局のところ何ひとつ解決していません。
いかんせん食料不足なので頭もよく回らず、記憶も定かではありませんから、どうやって知ったのか今はちょっと覚えていませんが、オーナーたちがつけているマスクはどうやら使い捨てで、基本的に毎日取りかえるものであるということを知りました。

つまり、わたくしたちがあそこまで登って一生懸命穴を広げたところで、翌日にはまた、ふさがってしまうのです。だとしたら、もはや無駄な努力はしないことにし、わたくしたちは、日がな一日、オーナーの肺で、わずかな空気を分け合って吸って過ごしました。

何度目かのケンカのとき、妻に追い出されて(ここは元はわたくしの肺なのですが……)行くあてのなくなったわたくしがうろうろして、肺は右と左に二つあることを知りました。
それ以来、わたくしは右、妻は左と、それぞれを自分の居場所にすることにしました。
いわば、家庭内別居ってやつですな。それからは、大きなケンカをすることもなく、おだやかに暮らしました。

そんなおだやかな日々が数年続き、もはや大昔からずっとこうして暮らしてきたかのように思えてきたある日、妻が「家に戻る」と言いました。

「そんな……大丈夫なのか?」

「なんかね、もうみんな、マスクつけなくなったみたい」

「どうして? ウイルスはなくなったのか?」

「なくなってはいないみたい。でも、つけなくてもいいんだって。つけたい人はそのままつけてるけど」

「だんなさんは?」

「つけてないんじゃない? 外に出かける時はつけてるみたいだけど」

「そうか……。奥さんは?」

「奥さんも」

「何で知ってるんだ?」

「聞いたもの」

「誰に?」

「まこ」

まことは、わたくしと妻の一人娘のことです。
娘は、オーナーとオーナーの奥さんの娘さんの肺で一人暮らしをしています。

「まこと連絡とってるのか?」

「ええ」

「へえ……」

わたくしは、自分だけが仲間外れにされたような気持ちになり、妻にジェラシーを覚えました。そんなわたくしの心の内を見透かすように、妻は事もなげに言いました。

「あなたも電話したらいいじゃない。番号知ってるでしょ?」

「……だってあいつ、出ないもん」

「そうなの? 別にあなたを着信拒否してるわけじゃないと思うけど……。タイミングが悪いんじゃない? メールしてみたら?」

「メール苦手なんだよ。ボタンが小さくて、字が打ちづらいから」

「あなたの手、大きいからね。スマホにしたら? ボタンも大きくできるみたいよ」

「すまほ? 何それ?」

「小さいパソコンみたいなやつ。便利みたいよ。私もあっちに戻ったらそれにしようかな」

「俺のも一緒にかえてくれよ」

「嫌よ。また持ってくるの、面倒だもの。自分でやって」

「ちぇっ。いつもそうやって自分だけ先に行っちゃってさ……」

「あら。さびしいの?」

「……なあ、お互い、歳も取って来たし、このまま一緒に暮らさないか。右と左に分かれて、いい感じじゃないか」

「そうね……。でもやっぱり、また一人に戻って、気ままに過ごしましょう」

「一緒に住むの、嫌だった?」

「奥さんのことが、ちょっと心配なのよ」

「なにが?」

「だって、私たちが肺に住んで、たくさん空気を食べるから、奥さんもだんなさんも元気になるわけでしょう」

「ああ、そうだ」

「ここんとこ奥さんの肺に私が住んでいなかったから、奥さんの元気がなくなってきてるんじゃないかと思うのよ」

「そうなの?」

「これまで、だんなさんと奥さんでは、奥さんのほうが圧倒的に元気だったじゃない?」

「そうだな。俺たちと同じだ」

「ここで一緒に暮らすようになって、最初のうちは、マスクのせいでだんなさんの肺に入ってくる空気が少なくて私たちも大変だったけど、ここ最近は、どんどん空気も入るようになってきて、私たちがダブルで盛大に空気を食べてたから、だんなさん、かなり元気になってきたわよね」

「……確かに」

「まこの話によるとね、その代わりに奥さんの元気がなくなってるのよ。それは悲しいわ。だからね、私、戻ろうと思うのよ」

「そうか……。そういうことなら、仕方ないな」

妻とのお別れの日、見送りにはいきませんでした。

本当は、くちびるのきわまでついて行って、だんなさんの咳に乗って妻が飛んでいくのを見届けたかったけれど、うっかりわたくしまで飛んで行ったら大変なので、がけの登りだけは手伝ってやって、無事に登りきったところで別れました。

最後に妻が「楽しかったわ。今までありがとう」と言い、不覚にも涙がこみ上げてきましたが、泣いているところを見られるわけにはいかないので、振り返りませんでした。
まあ、今生の別れというわけでもないでしょうし。

妻は、だんなさんの、地震のように響く力強い咳に乗って旅立っていきました。その振動で、危うくわたくしもがけから落ちるところでした。

後日、妻から携帯電話で、無事帰宅の報告を受けました。
奥さんはやはりかなり弱っておられたようで、しばらくはたくさん空気を食べまくって奥さんの元気を取り戻すのだ、と妻は言いました。

マスクは、わたくしたち夫婦に、いろいろな気づきをもたらしてくれました。
わたくしは、いつものお気に入りの座椅子に座り、その気づきについて、この先、もう少しじっくりと考えてみようと思います。

わたくしたち二人で空気を食べて、この肺のオーナーのエネルギーをたくさん貯め続けたので、オーナーはとても若返ったらしく、今日はニンニクたっぷりのビフテキを食べているようです。そのかぐわしいにおいを食べながら、わたくしの気持ちも少し若返ったのかもしれません。

妻より先にスマホなるものを使ってみようと思い立ちました。

思い立ったら吉日。
久方ぶりに娘のまこに電話して、調達してもらうことにしました。
まこは「どういう風の吹き回し?」といぶかしみましたが、「まあ、気持ちが若くなったのなら、それはいいことだし」と、こころよく手配してくれました。
明々後日の午前中、届くようです。
どうやって届くのかは、よくわかりませんが。もしかしたら、まこが届けてくれるのかもしれません。
もしそうなら、久しぶりに娘に会えるのも楽しみです。
娘のために、ビフテキのにおい付き空気を少し取っておくことにしました。

今度妻に会ったときは、スマホをバリバリ使いこなすわたくしを見せつけてやろうと思います。
そのときの妻の顔を想像すると! 今から楽しみでならないのです。

【完】

無事マスクの取れたサイさん photo by 大日向峰歩

(作:大日向 峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

大日向峰歩作『はいのサイさん、ふたたび』これにておしまいです。『はいのサイさん』の後日談、いかがでしたでしょう。私はサイさんが外の世界に放り出されなくて、安心しました。
人は(多分サイも)一人きりだと、自分が人(サイ)だとわからないでしょう。究極的にはそれでも生物として、意識体として生きるものでしょうが、現実には、人として人の中で生きます。家族はいても、肺の中で一人で過ごすサイさんのような環境におかれる人もいるでしょう。他者との距離って、自分にとっての最適値も実際の距離も、好きになんか決められません。対人関係の悩みって、そういうことかもしれません。サイさんの取り戻した、少し切なくも穏やかな日常が幸せであってほしいですね。
さて次回は前回エッセイでの予告通り、サイさんの物語を踏まえた「集団の有効性」についてのお話です。どうぞお楽しみに!

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