【善財くんがゆく!】第十一話 善財くん、宝石の中に宇宙を見る:第五の善知識・慈行童女 (4)

すると。

柱の中に、
無数の世界が広がる。

「如来の法門」

光の中で、
無数の仏が現れる。

「衆生の法門」

人々の暮らしが映る。

「過去の法門」

古い時代が流れる。

「未来の法門」

まだ見ぬ景色が現れる。

「真理の法門」

「世間の法門」

「苦しみの法門」

「歓喜の法門」

慈行童女が言葉を紡ぐたび。

法堂そのものが、
別の宇宙へ変わっていく。

善財は、
もう何度目か分からない眩暈を覚えていた。

だが。

以前とは違う。

無理に理解しようとは、
思わなくなっていた。

分からないものは、
分からないままでいい。

ただ。

世界は、
思っていたより遥かに広い。

それだけは、
はっきり分かる。

慈行童女は、
静かに善財を見た。

「ですが」

法堂の光が、
少し穏やかになる。

「私は、
ただそれらを知っているだけです」

善財は顔を上げる。

慈行童女は、
どこまでも静かな声で続けた。

「菩薩たちが、
それらをどう生き、
どう実行しているのか」

宝石の光が揺れる。

「私は、
まだ学びきれていません」

善財は、
思わず目を見開いた。

この人でも、
まだ“途中”なのか。

慈行童女は、
少しだけ微笑む。

「智慧は、
終わりませんから」

その言葉は。

まるで。

静かな湖へ落ちた一滴の水のように、
善財の胸へ広がっていった。

慈行童女は、
静かに善財を見つめていた。

法堂の光は、
まだ柔らかく揺れている。

宝石の中では、
無数の世界が静かに巡り続けていた。

善財は、
しばらくその光景を眺めていたが、
やがてゆっくり頭を下げた。

「……ありがとうございました」

慈行童女は、
穏やかに頷く。

「善財さん」

「はい」

「世界は、
ひとつの形ではありません」

法堂の光が揺れる。

「ですから、
誰かの入口を、
否定しすぎないことです」

善財は、
静かにその言葉を聞いていた。

慈行童女は続ける。

「ですが同時に、
自分の入口から逃げてもいけません」

善財は、
少しだけ目を見開く。

その言葉は、
妙に胸へ残った。

勝熱バラモンの炎。

善住比丘の空。

海雲比丘の海。

徳雲比丘の無数世界。

全部、
入口だったのだ。

慈行童女は、
小さく微笑む。

「善財さんは、
もう次へ進めます」

善財は頷いた。

不思議だった。

以前のような
“分からない焦り”が、
少し減っていた。

分からないままでも、
前へ進めばいい。

今は、
そう思えた。

慈行童女は、
静かに南を指差す。

「次は、
南方の海潮地方へ向かってください」

「円満光という都の東に、
普荘厳という園林があります」

「そこに、
次の善知識がおられます」

善財は首をかしげた。

「どんな人なんです?」

慈行童女は、
少し楽しそうに微笑む。

「アーシャーという方です」

「男の人ですか?」

「いいえ。
とても多くの人々に慕われている女性ですよ」

善財は、
その名を繰り返した。

「アーシャー……」

また新しい名前だった。

だが。

以前ほど、
身構えてはいなかった。

慈行童女は、
どこか嬉しそうに微笑む。

「きっと、
善財さんにとって
大切な出会いになりますよ」

法堂の光が、
静かに巡る。

善財は深く一礼した。

そして。

無数の世界が映り込む法堂を、
もう一度だけ振り返る。

宝石。

柱。

光。

そのすべての中で、
無数の世界が、
今も静かに呼吸していた。

———————————
その夜。

善財は、
城下の宿でひとり机に向かっていた。

窓の外では、
夜風が静かに吹いている。

卓上の灯火が揺れる。

善財は、
少しぎこちない手つきで筆を持っていた。

旅に出てから、
誰かへ手紙を書こうと思ったのは、
これが初めてだった。

やがて。

紙へ、
ゆっくり文字を書く。

「善誓へ」

そこまで書いて、
善財の手が止まる。

「……何から書けばいいんだ?」

善財は、
困ったように天井を見上げた。

炎へ飛び込んだ話。

空を歩く修行者。

海と繋がる比丘。

そして今日見た、
“宝石の中の宇宙”。

どう考えても、
正気を疑われそうだった。

善財は頭を抱える。

「絶対、
“旅で疲れてるんだな”
って言われる……」

だが。

ふと、
慈行童女の言葉を思い出す。

――誰かの入口を、
否定しすぎないことです。

善財は、
小さく笑った。

「……まあ、
アイツなら笑いながら読むか」

それから、
再び筆を取る。

今度は、
少し肩の力が抜けていた。


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