足利直義:うーん、そう言われてしまうと、返す言葉もありませんが・・・
まぁ確かに、「自分だけウハウハになりたい!」などというさもしい考えで、あれこれ儲けをたくらむというのは、なんだかバチが当たりそうな気がします。
でも、例えばですね。「幸せになりたい」という一心で、神さまや仏さまを拝んだりお経を唱えたりする、というのは構わないんじゃないですかね?
夢窓国師:なるほど、世間で行われている数々のあくどい商売に比べたら、確かにその方がまだマシじゃろう。
まぁしかし、なんと言うかな。せっかく奇跡的に人間として生まれることができ、これまた奇跡的に仏さまの教えに触れることができたというのに、それを世間並みの「もうけ」を求めることに使おうとするようなバカモノは、もはや「構う」、「構わない」以前の問題じゃよ。
かつて、ワシの尊敬している先輩が、こんなことを言っておった。「世間的な一般常識に従いながらもつまらない欲望を持たないならば、仏の教えに従っているのと変わらない。仏の教えに従いながらもつまらない欲望を持ってしまったならば、世間的な一般常識に従っているのと変わらない」 、とな。
わかるかな? たとえ厳しい修行を乗り越えて悟りをひらいたり、「生きとし生けるもの全てを救済する」ことを固く誓ったりしたような人でも、仏の教えに従うことのみにこだわるようなことになれば、他人が救えないことはもちろん、自分ひとりすらも救えないのじゃ。
いわんや、自らの悟りのためでなく、他人を救うためでもなく、ただひたすらに世間並みの「もうけ」を求めるような根性でもって拝んだりお経を唱えまくったりするようなヤツの言うことに、神さまや仏さまが耳を貸すと思うか?
逆に、自ら悟り他人を救うことを目的としているならば、俗世間で行われているどんな商売であろうとも、必ずよい結果を生むことじゃろうよ。
そして、もしもそんな中で悟りを開くことができたなら、その過程で実施してきた商売ごとは、直ちに仏法修行であったということになり、そこから生み出される利益は無限大となるのじゃ。
これがいわゆる「不可思議解脱」というヤツじゃ。法華経に「政治も経済も、全て矛盾なくこの世の真実の姿である!」と書いてあるのは、まさにこのことなのじゃ。
<第二問 手段ではなく目的にこだわれ! 完>
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