香港映画「私たちの話し方」が素晴らしかった。耳が聞こえぬ聾の若者3人のそれぞれの生き方と友情を描く。何度も胸熱くなった。真面目なだけの映画でなく、笑いがあり、アジアの家族がもつ温(ぬく)もりがあり、香港の街の活気がある。緻密でデリケートな演出が素晴らしく、香港の青い海も何度も出て来るので映画に解放感があるのもいい。

監督:アダム・ウォン 出演:ジョン・シュッイン ネオ・ヤウ マルコ・ン他
実は私も子供の頃から左耳の中耳炎を患い(ずっと水泳が禁止された)、近年は老化のために左耳がほとんど聞こえなくなっている。1年半前に大学病院で手術を受けたものの好転せず、半年前からヒアリング・エイドを使用している(ずいぶん進歩している)。
だから、見ている時、これは自分が描かれていると思った個所もあった。でも、そうでなくても、この映画、見る者の心に響いてくる映画ではなかろうか。
香港では、難聴の人は、人工中耳を入れる手術をするか、手術せずに手話で意思疎通をするか、その折衷を取るかの3つのタイプに分かれる。原題の「看我今天怎麼生説」、即ち「今日、私がどう言うかを見て」というのは、人工中耳を入れた人の話し言葉でなく、手話の動きを見て自分の気持ちを汲み取ってほしい、という意味だろう。
映画には、その3つのタイプの若い男女が登場する。それぞれ、聾に対する考え方、つまり手話をどう考えるかが違い、そして、それによって生き方が違うのだ。
この三人、皆、存在感と魅力がある。特に私が惹かれたのは、阪神の佐藤選手似の、聾であることに誇りを持ち、手術を受けず手話で生き抜いていこうとする明るい前向きな性格のジーソンだ。彼が使う手話を見ていると、豊かな表情と相まって、手話にはなんと表現力があるのかと思わされる。
手術を受けた女の子のソフィーは頭がよくて努力家で一流企業に就職する。ネタバレだが、障碍者枠で一流企業に入社するも壁を感じてしまう。彼女は手話を始めることで、水泳をする、シュノーケルをするなど、世の中の生き生きとした歓びに触れ始め、手話についても、自分の生き方についても考えを変えていく。親の考えに従うのでなく本当の自分を持ち始めていく。自分のアイデンティティと呼んでもいいだろうか。これこそがこの映画の一番の要諦だ。
美点が幾つもある映画だ。回想で出て来る少年二人が実に生き生きしているのもいい。しかもユーモアがあって笑えるのだ。授業中、二人が学校の廊下に立たされ、離れながらも手話で意思疎通するシーンをロングショットで捉えるのもいい。大人になった3人が外の屋台で飲食しながら、ソフィーに食べ物の名前を手話で教えるシーンもとてもいい。
クスクスと笑ってしまったのは、少年の頃、二人で作成した「手話ノート」が出て来るが、その中に「チンポコ」とか「オナニー」とかいう言葉が載っていること。小さくやんちゃな子なのでほほえましい。
劇場に見に行った日、たまたま来日した監督の舞台挨拶があった。サインもいただいた。気さくで多弁な方だったが、容貌が若い頃の糸井重里にそっくりなので親近感を抱いた。宮崎駿のアニメ映画「風立ちぬ」(2013年)で主役の声の広東語声優をやったそうだ。

監督:ジャック・オディアール 出演:ヴァンサン・カッセル エマニュエル・ドゥヴォス他
好きな映画をもう一本! 視覚障害者を描く映画はこれまでも、「名もなく貧しく美しく」、「コーダ あいのうた」、「タレンタイム」、「ケイコ 目を澄ませて」などを紹介して来た。今回、もう一本、異色の映画を紹介したい。フランスの巨匠ジャック・オディアールの佳作「リード・マイ・リップス」(2001)だ。
聴覚障害の女性(話すことは可能)が、正社員として働く勤め先でバイトに雇ったアンちゃんのために犯罪に加担する映画。聴覚障碍者の皆が皆、清く美しい生き方をするわけでは無かろう。好きな若い男に抱かれもしたい。ムショ経験のあるポール(ヴァンサン・カッセル)のためには狂おしい事もやらかす。そこが新鮮。
惜しむらくは、やや、後半の展開が舌足らずで分かりにくいが緊迫感がある。聴覚障碍者は遠くでも人の読唇が出来る。映画では、それが効果的に2回使われる。
それにしてもヒロインのエマニュエル・ドゥヴォスの存在感が圧倒的。カメラはアップが多く、彼女の微妙な表情を捉える。同じ年の「アメリ」のオドレイ・トトゥを抑えて、この年のフランス映画賞セザール賞の主演女優賞を獲得した。
(by 新村豊三)