3280号室の超訳文庫『アングリマーラ』はいよいよ完結に近づいた。
ぶんのすけ氏の筆はますます冴えて軽やかだ。
最新第9話にこんなセリフがある。
「私はウソをついて生きるより、約束を守って死ぬ方を選びたいのだ」
悪魔と化したカマシャパーダ王に捕われたスダソミー王は、ある道士との約束を守るため一週間だけ猶予をもらう。一週間のあいだに約束を果たしたスダソミー王は、家臣たちが必死で止めるのも聞かず、殺されるためにカマシャパーダ王のもとへ戻っていく。
このセリフ、この構図には既視感がある。『走れメロス』だ。
『走れメロス』を知らない日本人はあまりいないだろう。教科書にも載っているくらいだから。
単純で正義感の強いメロスは暴虐な王をいさめようとして、あっさり捕えられ死刑を宣告される。しかしメロスには結婚をひかえた一人きりの妹がいた。メロスは妹の結婚式を無事すませるために3日の猶予を乞い、その間自分の身代わりとして親友のセリヌンティウスを差し出す。急ぎ村に帰り、妹の式を慌ただしく執り行ったメロスは、王都へ向け、数々の困難と戦いつつ必死で走る。
約束を守るため、あえて自ら死に向かう人物像が同じだ。
無論異なる点もある。
メロスは約束を守らねば親友が殺されるという事情があった。一方、スダソミー王は「既に生死を超えた教えを受けている」ゆえ命よりも約束を優先する。
それにしても太宰治が『走れメロス』を書いたとき、アングリマーラのこのエピソードを元ネタにしたということはないだろうか?
アングリマーラの原典「央掘摩羅経」や「賢愚経」の成立は古く、日本にも早く入ってきているから太宰治が読んでいても不思議はない。
さっそくキンドルで青空文庫版『走れメロス』をダウンロード。短いからあっという間に読める。小学生か中学生のとき以来だが、やっぱり面白いなあ。
最後に「古伝説と、シルレルの詩から。」とメモのようなひとことがあった。
さっそく検索。
シルレルはドイツの詩人、劇作家フリードリヒ・フォン・シラーのことらしい。日本ではなんといってもベートーヴェンの交響曲第9番「歓喜の歌」の原詞で有名だろう。
そして古伝説だけでは何もわからないが、こちらも研究家によりかなり解明されていて、シラー作品「人質」に現われるギリシャ神話がそれであるとほぼ定説化しているとのこと。
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そうか。アングリマーラではなかったか。
しかし、一つの作品の成立にはいくつものネタ元(広い意味での)が存在するのが普通だし、太宰がアングリマーラを読んでいなかったとは限らない。
それに考えてみれば「信義のために命を捨てる」という単純かつ強力なモティーフは、実は各地に古くから多々存在していて、いつの時代も創作者の魂を揺り動かしてきたのだとも言えるだろう。
江戸時代の「菊花の約(きっかのちぎり)」も思い出した。上田秋成の「雨月物語」の中でも特に有名な一編で、無実の罪で監禁された武士が、義兄弟との再会の約束を守るために「人一日に千里をゆくことあたはず。魂よく一日に千里をもゆく」と自決して魂のみ会いにくる話。
死んじゃダメだろ!と普通は思う。思うよね?
「命より大事なものはない」という現代日本に行きわたった価値観に真っ向対立するのが、「信義のために命を捨てる」「命よりも大事なものがある」という価値観だ。
正しいかどうかはここでは論じない。ただそういう価値観は昔からずっとあったし、今でもそれが多くの人の胸を打つということは、そこに何かがあるということだろう。
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『走れメロス』に戻る。
最後の数行、唐突にひとりの少女が登場する。ストーリー的にはその前で完結しているからラストシーンのために出てきたようなキャラクターだ。しかしこの少女がいなかったら読後感はまったく違ったろうし、作品の価値さえ大きく変わっていたと思う。
完成したものを見れば当然そこにあるべき、いや、なければならないパーツである。しかし制作途中でこれが見えるのは天才だ。
太宰治。久しぶりに読み返したくなってきた。
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