オオカミになった羊(後編6)by クレーン謙

ーーミハリには、誰にも話していない密かな楽しみが、ひとつあります。
子供の頃、遊びにいっていた羊村で食べた野菜の味が、ミハリには忘れられませんでした。
オオカミ達が立ち入る事のない山奥に、ミハリは畑を作り、そこでサニーレタスやイモなどを育てているのです。
オオカミ族の指導者となった今でも、ミハリは野菜を育て続け、時折それを食しています。

ミハリは息子のアセナには小さい頃から、野菜を食べさせています。
そして、今ではアセナは肉よりも野菜が好きになりました。
なので、いつかはオオカミ族も野菜を食べるようになるだろう、とミハリは信じているのです。
ミハリは子供の頃に『歌』をショーンから教わり、それをオオカミ族に広めました。
歌なんか歌うはずもない、と思われていたオオカミも今では独自の歌を持っているのです。

……しかし野菜を食している、という事を仲間に伝えるには、まだまだ早すぎました。
オオカミは肉を食べるのが当たり前だと思われていて、野菜なんかを食べると白い目で見られるのです。
勇敢な狩り狼であるのを誇りにしている仲間達に、野菜を食している姿を見られると、ミハリの地位はたちまち失墜するでしょう。
オオカミ族は古来より狩りを習わしにしているのですが、いつかは野菜と穀物を食す習慣を皆に広めたいとミハリは思っています。
今宵もミハリはアセナを連れ「狩りに出る」と部下達に言い残し、山の畑へと向かいました。

ミハリはオオカミ族のなかでも一二を争うほどの狩りの名手なのですが、野菜を育てる腕前もなかなかでした。
山の畑には、サニーレタスだけではなく、真っ赤に熟れたトマトや、ジャガイモなどが所狭しと育っています。
もう少しで成狼になろうとしているアセナは川で汲んできた水を畑にまきながら、父に尋ねました。

「父上、オオカミはかつては羊だったという。それは本当なのですか ? 」

父親譲りの精悍な顔つきのアセナは、顔つきだけでなく頭脳も明晰で、いずれはオオカミ族の指導者を継ぐだろうと皆から思われていました。
オオカミには珍しく、アセナは知識欲と探究心が旺盛なのですが、それだけでは仲間の狼望が得られないので、同年代のオオカミに負けぬよう狩りの腕も磨いています。
その気になれば、アセナは一晩で5匹のウサギだって狩れるでしょう。

月明かりに照らされたアセナの顔を、目を細めながら眺め、ミハリは答えます。

「どうだろうな ? 確かに、そのような言い伝えは残っているが、それを信じる者はあまり、おらぬ。おまえも知ってのとおり、オオカミ族と羊族は今とても仲が悪いからな。しかし、おまえはそれを解き明かそうとしているのだな」

そうです。
アセナは、本当の事をとことん追求しないと気持ちのおさまらない性分なので、いつかはその言い伝えの謎を解き明かすつもりなのです。
アセナは独自に、古い言い伝えやオオカミ族の遺跡を調べていました。
ミハリは我が子の成長っぷりに、感心しながら言いました。

「もうそろそろ、帰るか。途中で何か獲物を狩り、皆に披露せねばならんからな……」

狩りに出る、と言ったからには獲物を仕留めて帰らないと仲間への示しがつきません。
ミハリとアセナは、持っていた鍬を弓矢に持ち替え、森に入り半刻も経たずして、親子で協力しながら立派な鹿を仕留めます。
そして、親子は月神にむかい感謝の祈りを捧げ始めました。
オオカミ族は羊族のような寺院を持ちません。
オオカミにとっては、暗闇を照らし出す月そのものが信仰の対象なのです。

二匹は鹿を串刺しにして、それを担ぎあげ、下山を始めました。
自分たちの集落を目指して。

ーー固有の領土を持たないオオカミ族は一箇所に定住していません。
動物の皮で作られたゲルに住まい、獲物を求めながら、移動を繰り返しているのです。
オオカミ族のゲル集落は、『聖地』と云われる羊村の周囲を円を描くようにして移動します。
もう、そのような暮らしをオオカミ族は何百年も続けてきました。
そのお陰なのか、オオカミよりも獰猛だと噂されるハイエナ族やキツネ族も、羊村を襲う事はありませんでした。
羊村はここ何百年にも渡り平和が保たれていて、農作物と工芸品の交易で発展を遂げていました。
しかし、オオカミ族と羊族は互いの風習や宗教などの違いから、関係性はとても悪くなっていたのです。
羊族はオオカミの事を野蛮だと言い差別していて、オオカミ族も自分の領土を奪われたと信じているので、羊を憎んでいました。

ミハリとアセナが山を降りると、自分たちの集落が見えてきました。
しかし、何やら集落の様子がいつもと違うのにミハリは気付きます。
ミハリの鼻はどのオオカミよりも優れているので、環境の少しの変化にも敏感なのです。
いつもなら、この時刻には集落のオオカミは火を起こし食の準備をしている筈なのですが、その気配がしません。
オオカミ族は、火を中心にして狩った獲物の肉を分かち合うのを何より大切にしていました。
……何かが起きたに違いない、とミハリの第六感が告げていました。

集落まで伸びる獣道を見ると、ミハリとアセナの方に向かって一匹のオオカミが走ってくるのが伺えました。
そのオオカミはミハリが最も信頼を寄せている部下のマーナガルムでした。
マーナガルムはハーハーと息を切らせながら二匹の元に来て、ミハリを見ると頭を垂れながら告げました。

「ミハリ様 、一大事です ! 我らが同胞が五匹も羊により毒殺されました ! 血気盛んな仲間の一部が報復を叫んでおり、すでにフェンリルは兵を結集させています ! このままでは、本格的な戦になるでしょう ! 」

――――つづく

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