オオカミになった羊(後編50)by クレーン謙

羊村村長ショーンはオオカミ族を討伐すべく、メリナ王国軍五千匹を率いヴィーグリーズの谷へと向かいました。若い羊までもが羊兵として徴兵されたので、ここメリナ王国の王都バロメッツは年をとった羊や雌羊しか残っておらず、静まり返っていました。
季節はもう冬。メリナ王国はそんなに雪が降らないのですが、その日は朝から雪が降っており、バロメッツ城の周囲は雪景色に変貌しています。
バロメッツ城の中核に位置する王執務室ではアルゴー大公が王ファウヌス三世に戦況を告げていました。執務室の暖炉には赤々と火が燃えており、二匹の顔を照らしています。
心なしか、王ファウヌス三世の顔が普段にも増して赤くなっているようにもみえます。
それでは、ここで二匹が話す内容を聞いてみる事にしましょう──

「……ファウヌス様。今しがた、羊村から、とても残念な報告が来たのでお知らせせねばなりません。羊村通商大臣ヘルメスは、捕らえられた娘を取り戻す為、完全武装をした一個師団を率い出撃をしたのですが、どうやら返り討ちに遭い一匹残らず全滅をしたようです。迎え撃ったのは弓矢と剣しか持っておらぬアヌビス族。アヌビス族はオオカミとジャッカルの血を継ぐ一族で、恐ろしい剣の使い手として知られております」

そのように告げるアルゴー大公を、険しい顔でファウヌス三世は睨みつけます。
執務室の壁にかかった羊村産の壁時計が、カチコチと音をたてながら時を刻んでいました。
ややあってファウヌス三世は、口を開き言います。

「ヘルメスはどうなった? 」

「は。残念ながら敵に捕らえられたようです。我らがヘルメスを裏で操っていたのに、オオカミは気づいたのかもしれませぬな。もしやヘルメスを盾にして、我らと何か交渉する心づもりなのかもしれませぬ」

「……フン。ヘルメスは使える羊だったのだが、実に残念だな。ヘルメスを使ってヤツらが動き出す前に、ショーンに一網打尽にしてもらわんとな。オオカミ族が最新兵器を手にしているとはいえ、羊兵五千匹もいれば物の数ではなかろう。よいかね。もうそのような不吉な知らせは十分だ。この次には、良い報告を期待しておるぞ。もう正午になろうとしておるので、ワシは行くぞ」

そう言い残しファウヌス三世は、サウナ風呂に向かう為、バスタオルを手にドカドカと荒々しい足音をたてながら執務室を後にしました──潔癖症のファウヌス三世は一日三回は風呂に入らないと気が収まらないのです。
後に残されたアルゴー大公は、ため息を一つつき、さてどうしたものか、と考えました。
アルゴー大公、いえ、この世界の創造者レイはあちらの世界での対策も練らなくてはならないのです。
あちらの世界では、『聖なる羊たち』教団を国連軍が包囲していました。
その対抗措置として、レイは世界各国の核融合原子炉を遠隔操作して暴走させたのです。

アルゴー大公の姿をしたレイは、執務室の中を歩き回りながら頭の中で計画を練ります。
誰もいない筈なのですが唐突に背後に何かの『気配』がしたので、レイが振り向くと何も無い空中でキラキラと光が輝いているのが見えました。
光は更に強く輝き、やがて人の形へと変化し、輝きが収まるとそこに人間の女が立っていて、レイを睨みつけていました。女は黒髪を揺らせながら言います。

「兄さん! 見つけたわよ! 」

「……エリ! よくぞ僕の居場所が分かったね」

エリは羊の姿をしたレイに近づいていきました。エリには心がない筈なのですが、その顔にまるで心があるかのように、怒りの表情を浮かべています。

「ご覧のように私は人間の姿で現れたわ。羊のフリなんかしないで、兄さんも人の姿に戻って! その方が話がしやすいわ」

エリがそのように告げると、アルゴー大公の姿をしたレイはニヤリとほくそ笑み、ピカッと光り輝き出しました。輝きが収まると、そこに十歳ぐらいの人間の男の子が姿を現します。

「エリ、これで満足かい?ご覧の通り、これは僕の六十年前の姿だけどね。……君は、死んだ時の姿のままで、相変わらず若くて綺麗だね」

「それはそうよ。兄さんが生前のエリに似せて私を作ったんだから、私は十九歳の時の姿のままよ。そんな事はどうでもいいわ。兄さん、観念をして、いますぐに降伏して! もうすぐ国連軍は EMP 爆弾を十発、成層圏に打ち上げるわ。 EMP 爆弾が十発も成層圏で爆発をすれば、地上全てのコンピューター回線は焼け切れるでしょう。全てね。そうすれば、ここの世界は壊滅してしまうのよ。いますぐに、核融合炉の暴走を止めて、国連軍に降伏宣言をして、お願いだから 」

レイは両手を背後に回し、しばらく執務室の中を歩き回り、やがてエリの方に向き直りました。
その姿は完全に子供でしたが、目つきだけは七十年生き抜いた狡猾さが滲み出ています。

「エリ、それは無理だ。僕はコンピューター技師なんだよ。敵が電磁パルス攻撃を仕掛ける事なんかはとっくに予測していたさ。もちろん、その対策も講じている。君は AI のくせに、そこの読みが実に甘かったね……」


一方、ヴィーグリーズの谷へと行軍を続けていたショーンもメリナ王国の伝令から、ヘルメスが敵の手に落ちたという報告を受けていました。羊村に常駐していた師団が全滅をしたので、ショーンは羊村からの援軍を望めなくなったのです。

(この戦は、全てヘルメスの策略で始まったと言っていいだろう。そのおかげで、実に多くの羊とオオカミの命が奪われた。いわば、あの羊は最大級の戦犯だ。あんな羊がどうなろうと、今更構わぬが、敵の手に落ちたとならば、我らの不利となるだろうな……)

そう考えたショーンは作戦を練り直す為、軍の歩みを一旦止めました。
野原に雪が降りしきる中、馬から降りたショーンは軍隊長を集め、作戦会議を始めます。
すると、軍隊列の前方で羊兵達が大声をあげながら騒いでいるのが聞こえてきました。

「どうした、一体何事か? 」

ショーンが問うと、羊兵の一匹が答えました。

「ショーン様、偵察兵らしきオオカミを一匹捕まえました!足手まといなので、処刑しようと思うのですが、そのオオカミは今すぐ貴殿に会わせよ、と申しております。 いかがなさりましょうか? 」

「まて、処刑はするな。ここへ連れてくるがいい。話を聞こう」

ショーンがそのように告げると、しばらくして縄で縛られたオオカミが羊兵に引っ張られてきました。オオカミにしては随分と臆病そうな目を向けながら、そのオオカミはショーンに言いました。

「貴方がショーンか? 私はここに偵察に来たのではない。私の名はマーナガルム。オオカミ族指導者ミハリの臣下だ。指導者ミハリ様からの伝言を貴方に伝えにきた。──我らが指導者ミハリは貴方との一騎打ちを望んでおられる。一対一の果たし合いで、この戦の勝敗を決めようではないか、と。武器は弓矢と剣のみ。場所はヴィーグリーズの谷、月の川のほとり。明夜、月が真上にかかる時刻に」


指導者ミハリが敵の隊長ショーンと一対一の一騎打ちを為す、という話は瞬く間に、ヴィーグリーズの谷に潜むオオカミ族の間に伝わりました。
一対一の果たし合いは、オオカミ族にとっては最も神聖な行為です。
指導者が果たし合いに挑むとならば、下のオオカミ達は剣を鞘に収め勝敗を見届けねばなりません。
羊兵と一戦を交えていたオオカミ達は、戦うのを止め、指導者ミハリを送り出すための遠吠えをあげ始めました──下弦の月が頭上に輝く中、ヴィーグリーズの谷にオオカミ達の遠吠えが響き渡ります。

かつて、アセナがオオカミ族の伝説を聞きにいった老オオカミはゲルの中で、深い眠りについていたのですが、急に目を覚まし、悪い足を引きずりながらゲルの外へ出ました。
ゲルの外では、仲間のオオカミ達が遠吠えをあげているのが聞こえます。
老オオカミは目が見えないのですが、全てを『気配』で悟っていました。
この世の全ては『気配』で為り立っているのを老オオカミは知っているのです。
急にゲルの外へと出た師匠の後を追いかけ、従者が聞きました。

「師匠、いかがなされましたか? お身体が優れぬのでしょうか? 」

老オオカミは見えない月に向かって顔を向け、声を震わせながら従者オオカミに返事をします。

「いま夢の中で、不吉な兆しを見たのじゃ。この世界ではなく、神の世界の事じゃ。神の世界の空に何か禍々しいモノが昇ってゆき、火の玉となり、その火が我らが世界を焼き尽くすのじゃ」

従者は師匠がどのオオカミよりも『気配』を読めるのを知っているので、次第に不安になってきました。

「……我らの世界を焼き尽くす! 師よ、その兆しは、この世は滅びるという事なのでしょうか?」

老オオカミは従者の方へと振り向き、静かに返事をしました。

「それはワシにも分からぬ。じゃが、今我らが世界は『大いなる変化』を迎えようとしておる。ワシには『気配』でそれが分かる──ただ、どのような変化なのかはワシには分からぬ。我らが指導者ミハリは何か胸に秘めた決断を下されたようじゃ。それが、もしや『大いなる変化』と関係するのかもしれぬ……」

――――つづく

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