子夏曰く、君子は信ぜられて而(しか)る後に其(そ)の民を労す。未(いま)だ信ぜられざれば、則(すなわ)ち以(も)って己(おのれ)を厲(や)ますと為(な)す。信ぜられて而る後に諌(いさ)む。未だ信ぜられざれば、則ち以って己を謗(そし)ると為す。
(子張 十)
――――子夏は言った。君子は、人から信頼されてからその人を働かせる。信頼のないままに働かせれば、人は不当に酷使されていると思う。また、信頼されてから諫言する。信頼のないままに諫言すれば、人は悪口を言われていると思う。――――
第十九編(子張編)は、孔子本人ではなく、「孔門十哲」と呼ばれる、孔子の高弟たちの言葉が多い。本章は子夏の言葉。
相手の信頼を得ないうちに仕事を言いつけたり、説教をしたりすると、相手は反発するばかりであるという、ごく当たり前のことを言っている。ごく当たり前のことだが、現代の職場でも、人間関係のトラブルの多くは、こういうところから起こっているのではないだろうか。
最近は特に職場でのハラスメントというのが大きな問題になっている。なかなか大変な問題なのだが、一つ一つの発言や行動について、「これを言ったらパワハラだろうか」「これをしたらセクハラだろうか」といって考え込んでも仕方ない。全く同じことを言っても、相手の受け取り方一つで結果は全く変わってくるのである。では、どうしようもないことなのか?
同じことを言うにしても、「信ぜられて而る後に」言いなさい、「未だ信ぜられざれば」ハラスメントと受け取られるよ、と子夏先生は二千年前におっしゃっているのである。
過去二千年の間に、科学技術は格段に進歩したが、対人関係の技術というのは、何も進歩していないのかも知れない。
科学は客観的事実の積み重ねだから、世代を超えて知見を積み重ね、「巨人の肩に乗る」こともできるが、対人関係の技術は個人的なものだから、積み重ねが効かないのだろうか。だが、スポーツなどの身体技能は、個人的な能力だが、時とともに相当進歩しているように見える。さてさて、どう考えれば良いのだろう?
<<先週は、著者の都合により休載いたしました。何卒ご了承ください。>>
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