父の物忘れが目立ち出したのは、十数年前のことだ。
物をなくしたり、色々な支払いを忘れたり、母と二人暮らしのため、少しずつ生活に支障が出始めていた。早めに医者に見てもらった方が良いのではないかと、妻と話し合ってはいたのだが、なかなか本人には言いづらく、そのままにしていた。
父自身も時折「最近すっかりボケちゃってねえ」などと言いはするが、私から「認知症外来に行こう」などと言えば、頑なに拒否することは目に見えていた。
しばらくすると、私は父のもう一つの変化に気づきはじめた。話し方が、ぼんやりとして、少し呂律が回らないような感じになってきたのだ。
私は両親と離れて暮らしていて、父と話すのは、主に夜に電話でのことが多かったから、初めは酒を飲んで酔っ払っているのだろうと思っていた。だが、週末の昼間に電話しても同じ話し方なのだ。父は酒好きだが、昼間から飲む人ではない。
実際に実家を訪ねてみると、明らかに飲んでいないときでも、呂律がおかしかった。全体の雰囲気も、ぼうっとした感じになっていた。これはまずいかもしれない、と私は思い始めた。妻も心配し、認知症外来の情報を集め始めてくれた。
そんな折、父が旅行先で、スーツケースのナンバー錠の番号がわからなくなるという事件が起こった。帰宅後、父は、平静を装ってはいたが、明らかにそのことで落ち込んでいた。
私は、言葉は悪いが、「チャンスだ」と思った。物忘れのために大きなトラブルがあって、本人がはっきりと問題を自覚している今を措いて、病院を受診するタイミングはないだろう。
さらに都合の良いことに、ちょうどその少し前に、知り合いの神経内科医から、大学病院を辞め開業したと連絡があったところだった。元が神経内科医だから、当然認知症状の見立てはできるし、必要があれば良い病院を紹介してくれるだろう。いきなり大病院の老年科だの認知症外来だのという恐ろしげな名前のところに連れていくより、「息子の知り合いのお医者さん」の方が敷居が低いだろう。
週末、私は実家に行き、その話を切り出した。
「スーツケースの件は大変だったね。そう言えば、父さん最近物忘れが気になるみたいだから、一度病院で見てもらったらどう? 今は認知症を防ぐ良い薬もあるみたいだし、相談してみるといいよ。」
言葉遣いには気をつけた。受診する理由は「物忘れがひどいから」ではなく、あくまでも本人が「物忘れが気になる」からであり、目的は認知症の「予防」である。
私は、うんと言ってもらえるまで何時間でも席を立たない覚悟で話し始めたのだが、父は意外なほどあっさり同意してくれた。やはり本人も不安だったのだろう。
診断は軽度の認知障害あり。環境調整のみで経過観察という選択肢もあったのだが、私は認知症薬アリセプトの処方を選択した。私もお医者さんも、効くという確信を持っていたわけではなく、まあ試しにやってみよう、という感じだった。
効果はじきに現れた。明らかに言葉がはっきりし、快活さが戻ってきた。副作用も出なかった。いいことづくめだった。物忘れは残っていたが、QOL(Quality of Life、生活の質)が向上したのは確かだった。
「あまり期待しない方が良い」と言われたアリセプトだったが、父には効いたのだ。
「フォークボールの落ちはなを叩いた」というのが私の解釈だった。私はこの例えをとても気に入っていた。
父が他界して数年が経つ今、私は考える。あのアリセプトは、本当に効いたのだろうか、と。
長くなるので、この続きは次週に。
(by みやち)
☆ ☆ ☆ ☆
※ホテル暴風雨にはたくさんの連載があります。小説・エッセイ・詩・絵本論など。ぜひ一度ご覧ください。<連載のご案内> <公式 Twitter>