老化と介護と神経科学29「発達段階と老化段階(7)」

「自律」対「恥と疑惑」

「自律」対「恥と疑惑」というのは、子供の発達過程では幼児期初期(2歳ごろ)の発達課題だそうだ。
物を食べる、トイレに行く、服を着るなど、自分の身の回りのことができるようになるにつれ、自分の身の回りのことは自分でするという自律性が発達する。同時に、「失敗したら恥ずかしい」「失敗するんじゃないか」といった気持ちも現れてくる。
そうした恥の感覚や自分に対する疑惑を乗り越え、自律性を身につけるのが、この時期の心理的課題であるという。

心理的な「自律」というのは、実際に物を食べたり着替えをしたりする行為には限定されないだろう。食べ物について好き嫌いを言ったり、服装を自分で選んだりするのも、自律のうちだろう。好き嫌いを主張した上で、「野菜も食べなさい!」と言われて渋々食べる、というのは、健全な適応的行動と言える。

高齢期になって心身の機能が衰えると、自分自身の身の回りのことができなくなる時期がくる。
その時期の心理的課題を定式化するなら、「恥や自信喪失に悩まされることなく、自分にできることをやり、できないことは安心して人に任せる」ということになるのではないだろうか。
自信を喪失してなんでもかんでも人任せにしたり、失敗を恥ずかしがって隠すようになると問題である。

介護する側からすれば、被介護者に恥をかかせず、また出来ることは自分でやってもらう、ということだ。これは、高齢者の介護をする上で最大の難問の一つのようだ。

幸いなことに、うちの母の場合、ある意味ではかなり楽だった。もともと自己主張がはっきりした人なのだ。(もっとも、それは家族に対してだけではないかと思われる節もあるが。)
母は糖尿病を患ったため、食事については早くから制限がついた。甘い物好きには非常に辛い病気である。ただし、甘い物を一切食べられないわけではない。食後、インスリンの効いている間に食べるなら問題ないし、午後でも、血糖値の低い時に少量食べるなら、大きな問題にはならない。
しかし、そういった複雑な条件付きの判断が出来にくくなってくると大問題である。夕食前の血糖値が400を超え、よくよく調べてみると、おやつに大福餅を食べていた、なんてこともしばしばあった。
そんなときにも、本人には悪気もなければ恥ずかしがる様子もなく、「そういえば、大福を買って食べた」などと正直に言ってくれるのが、せめてもの救いといえば救いだった。
もっとも、そのうち記憶自体があやふやになって、本人の証言はあてにならなくなったのだが。

そんなわけで、おやつを巡っては喧嘩したこともあったが、それ以外はできるだけ本人の意思を尊重するようにした。
「朝食にはバナナを食べないとお腹の調子が悪い」というので、管理栄養士さんはバナナを含めて朝食メニューを考えてくれた。朝食後にはたっぷり砂糖の入ったコーヒーが欠かせなかったので、砂糖の代わりにパルスイートを用意した。

施設に入ってからも、本人の主張を施設側が受け入れてくれて、朝食にバナナを(実費で)つけてくれることになった。コーヒーは、ブルックスコーヒーを買って自分で淹れて飲むようにした。コーヒーが無くなったから送れというので「モカ」を買って送ったら、「モカじゃなくて、モカブレンドが好きなのよね」と言われてしまったが(苦笑)。まあ、それだけ好き嫌いが言えれば立派なものである。

気がついたら最近、コーヒーの追加を送れと言われなくなった。毎日飲んでいるなら、もう2ヶ月以上前に無くなっているはずなのだが。自分でコーヒーを淹れなくなったということなのだろう。忘れているのなら、それはそれで構わないのだが。

(by みやち)

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