老化と介護と神経科学9「母の習字(老いて現れる個性?)」

あけましておめでとうございます。
と言っても、もう1月も半ばなんですが、本年第1回です。
今年もよろしくお願いいたします。

一応まだ1月と言うことで、多少正月らしく、今回の話題は「習字」である。
介護施設では、さまざまなアクティビティーが用意されているものである。多くの老人が参加して楽しめると言うことで、歌の会とか絵手紙作りとか色々あるが、習字(書道)というのも定番メニューの一つだ。
何しろ、日本人なら誰でも子供の頃に多少なりとも経験しているし、道具にも金がかからない。「字なんか書いて何が楽しいのか」と言う人もいるだろうが、やってみると意外に楽しいものである。手を使うし、ある種のリハビリ効果も期待できるのではないだろうか。

私の母の暮らす施設でも、もちろん書道の時間がある。女学校時代書道部に入っていたと言う母に、「書道があるね。やってみたら」と勧めると、「あたし書道は苦手よ」などと言っていたが、結局参加しているようである。
先日母の部屋を訪ねると、テーブルの上に、先生にまるをつけてもらった半紙が何枚か置いてあった。裏返しに重ねられていた半紙を手に取ったとき、私は驚いた。
「なんでこんなところに、俺の字があるんだ?」

もちろんそれは母の字だったのだが、裏から見ると、名前の「宮地」の字が私の字そっくりだったのだ。思わず、裏返しのまましばらく見てしまった。気がついて表にして見ても、やはり似ている。他の字も、私の字に似ていた。いや、母にとっては六十何年ぶりの書道で、私は最近数年書道教室に通ったから、今の私はもう少し上手な字を書くのだが、5年前の私の字だと言われたら信じてしまいそうだ。

私の字は、昔から母の字に似ていただろうか? ペンで書く字は、似ていないこともないと言うくらいだ。筆文字はどうだろう。数年前に実家で片付けをしているときに、母の女学校時代の反故を見つけたことがあったが、そのときは、「上手い字だなあ」とは思ったが、自分の字に似ているとは思わなかった。

考えてみると、書道の初心者〜中級者にとって「字が上手い」と言うのは、お手本(もとを辿れば王義之の字)に似ていると言うことである。だから、女学校時代の母の字は、私の字に似ていなかったのだろう。数十年のブランクの後、元来の個性の出てきた字が、私の(以前の)字に似ている、といことではないだろうか。

なぜ字が似るのだろう? 私は祖父(父の父)から書道を習ったから、母の字と似る理由はないのだ。生まれつき手の構造が似ているとか、そう言うことなのだろうか? 今度母に会うときには、手の形を観察してみよう。

そういえば、私は以前、歩き方が母そっくりだと言われたことがあった。左足を前に出すときに、少しだけ捲くようにする癖があったのだ。その後私はピラティスを習って足の動きを直したので、歩き方は真っ直ぐになった。

よく、子供は親の悪いところばかり似ると言うが、要するに、悪いところというのは個性のあるところ、良いところというのは標準的で個性のないところ、と言うことではないだろうか。

(by みやち)

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