老化と介護と神経科学22「発達段階と老化段階(1)」

この連載も20回を超えました。当初の予定になかったことも、いろいろ書いてきました。しかし、初めから書こうと思いながら、なかなかうまくまとめられずに、これまで先送りにしてきたことが一つあるので、今回から3回(たぶん)でそれを書いて終わりたいと思います。


発達心理学では、人間が生まれてから成人するまでをいくつかの発達段階に分け、それぞれの課題を考える。同様に、老化の過程もいくつかの段階に分け、それぞれの課題を考えると役に立つのではないだろうか。

「アイデンティティ」という言葉で有名なエリック・エリクソンは、乳児期から成人期までの7つの発達段階の後の段階として老年期を置いた。
エリクソンの理論では、老年期はある意味で発達の集大成の時期である。だが、平均寿命が男女とも80歳を超え、100歳まで生きる人もさほど珍しくなくなった現在、老年期を一つの段階としてまとめてしまうのは、もはや無理なのではないだろうか。
自分の親や、その他の身近な高齢者を見ても、60歳代と80歳代は全く違う。認知能力だけを考えても、多少の記憶力の悪さを自分の工夫で補い、現役時代と同じほどの活動性を保っている時期と、記憶力も計画的な行動を行う能力も衰えた時期を、同じに扱うことはできない。

では、現役並みに活動的な人は老人と見なさなくて良いかというと、そういうわけでもなさそうだ。
昔から、歳を取ると子供に返る、という言い方をすることがある。ずいぶん乱暴で失礼な言い方だと思っていたが、最近になって、これはある面では正しいのではないかと考え始めている。(あくまで「ある面では」である。)
認知機能の面で言えば、記憶については措くとして、注意力、空間認知能力などが低下すると、子供の認知機能に似てくると言える。社会性についても、勤め先や取引相手など多くの人と活発な交流を持っていた成人期から、家族やご近所中心の人付き合いに変わっていくということは、子供の人間関係に似てくるという言い方もできる。
さらに、身体能力や認知能力に支障が生じて、介護が必要になった状態というのは、保護者による保護を必要とする子供に似ている。
もちろん、老人と子供は全く違う。なんと言っても、経験が違う。長年仕事をし、あるいは子供を育て、社会の一員として生きてきた老人と、まだそういったことを何もしていない子供が同じであるわけがない。
しかし、老化の段階とその課題を考えるのに、すでにある子供の発達の理論は参考になるだろう。
というわけで、次回は本題からちょっと外れて、発達の話です。

(by みやち)

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