今年も押し詰まって参りましたが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。
今年の初めには、「中国で、なんか変な病気が流行ってるらしいねえ」なんて言ってましたね。
コロナで明け コロナ で暮れる 今年かな
私自身のことを言いますと、今年はコロナの他に、仕事上でも結構大きな変化があったのですが、また趣味の世界では、アイザック・アシモフに再会したというのが、一大事件でありました。いや、別に降霊をしたとか、そういうことではありませんが。
私は高校生の頃アシモフのファンだったのですが、30年以上たった今、彼のロボットものを読み返してみると、あらためてすごい作家だなあと感じます。
アシモフの小説に登場するロボットは皆、陽電子頭脳を持った人間型ロボットという設定です。そして、その基本回路(今で言えば基本ソフト−OS)には、有名なロボット三原則が組み込まれています。
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第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りではない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
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(アイザック アシモフ. われはロボット〔決定版〕 (Japanese Edition) (Kindle の位置No.24-29). Kindle 版.)
この三原則に絶対従うという制約の中で、様々な状況でロボットたちがどのように行動するか。理解に苦しむロボットたちの奇妙な行動を、主人公たちがロボット三原則に基づいて読み解いていくという、知的でスリリングなストーリー展開がアシモフのロボットもののひとつの面白さなのですが、物語の中のロボットたちは、ある時は(一見)非常にユーモラスであり、ある時は勇敢に英雄的に行動し、あるときは人間を傷つけまいとして自縄自縛に陥っていく。「かたい」原則に規定された機械人間の行動をめぐって、とても人間的な(時には悲しい)物語が展開してゆくというのが、アシモフの小説の妙味です。
私は、心とは脳の活動であると信じている人間ですが、「心が脳の活動である」と言うと、人間性に対する冒涜であるかのようにとられることがあります。「心」と「物」は別物だという考え方です。そうかと思うと、ときには「心とは『所詮』脳の活動に『すぎない』」などという冷めた言い方をされることもあります。「心」は「物」だから、大したことない、という考え方です。
アシモフの小説は、フィクションではありますが、物理法則と基本原則に支配される「物」であるロボットが、いかに「人間的」になりうるか、そういう可能性を示していると思います。いわんや脳をや、です。
というわけで新年からは、心・脳・機械の関係にかかわる四方山話をまとめて数回〜十数回にわたって書いていく予定です。あまり肩のこらない話になるはずです。とはいえ、どういう話になるか、自分にもまだ全体像は見えていません。果たして上手くいきますやら。
それでは皆様、良いお年をお迎えください。
(by みやち)