【 日本史魔談 】魔界転生(12)

【 鬼門の守護山 】

旅行好きで地質学に博学の友人が、この「延暦寺魔談」が終了する時点で比叡山に登ろうと考えているらしい。「ああ、ええなぁ」と率直に思う。せっかくなんで延暦寺魔談を夏までひっぱって、京都の夏の酷暑を存分に堪能していただくのはどうか、などと意地の悪いことを考えている。こういうのを京都では「イケズ」という。

さてイケズな冗談はさておき、今回の冒頭は比叡山&延暦寺を語りたい。
延暦寺といえば、「比叡山のてっぺんにある京都のお寺」というイメージの人が多いのではないだろうか。細かいことを言い出すようで恐縮だが、「比叡山のてっぺんにある」も「京都のお寺」もまちがいである。

そもそも比叡山自体が京都府と滋賀県にまたがっている。延暦寺は「その山頂にドーンと屹立する大きなお寺」みたいなイメージの人が多いようだが、そうではない。山頂から滋賀県の方(琵琶湖の方)に降りていく途中にある。東塔、西塔、横川(よかわ)の3つの区域に分かれており、それらの寺院群全体をひっくるめて「延暦寺」と呼んでいるのだ。なので延暦寺をもれなく全部まわるとしたら(そんな人がいるのかどうか知らないが)、
(1)トレッキングシューズまたは登山靴でないと後悔する。
(2)丸1日はかかる。
……ということになる。比叡山は「山頂まで車で行けるお手軽な観光名所」というイメージだが、延暦寺をなめてはいけない。

比叡山ケーブルカー

ついでながら京都から車やバスやケーブルカーで比叡山の山頂まで行く人々は、延暦寺的解釈で言うならば、比叡山を裏側から登っているのである。「山に表や裏があるのか」と思ったでしょ。他山は知らず、比叡山にはあるのだ。もちろんそれなりの歴史的理由がある。

比叡山は京都の東北、つまり「鬼門」にある。平安京建設にあたり比叡山が果たすべき役割は「都の鬼門をしっかりと守護する」ということであった。さらに言えば、この場合の守護という任務は「鬼門から都に侵入しようとするあらゆる厄災を防ぐ」ということなのだ。なので「都には背を向けて屹立し、外からやってくる厄災に対して立ちはだかっている」というのが比叡山・延暦寺の役目なのである。

まだまだ比叡山&延暦寺については語りたいことが色々とあるのだが、今回はここいらで止めておこう。この延暦寺魔談が続く限り、その冒頭で小出しにしてわかりやすく解説していきたいと思う。

【 母の反対 】

さて本題。
篠田先生と父の間で私の「延暦寺お預け」はあっというまに決まった。ところが篠田先生が帰った後でこの話を聞いた母は、顔色を変えた。
母がなによりも腹を立てたのは「自分の意見を聞かないで勝手に決めた」ということだった。母はむろん「延暦寺お預け」など反対だった。「そんなことをしたら、この子の体力がもたない」というのが第1の理由で、次に「そんなことをしたら、この子はますます変わった子になってしまう」というのが第2の理由だった。

一方の父は、篠田先生とさんざん飲んで歓談した直後のことでもあり、一刻も早く寝たい気分だったにちがいない。また彼は母がここまで怒って猛反対するなど、予想もしていなかったのだろう。父にはそういう面があった。長い教師キャリアで「独断・即決」の気風が彼に宿っていたのかもしれない。涙まじりで抗議する母の相手をしているうちに、面倒くさい気分になってしまったのだろう。
「本人が行くと言った」と言い残して、さっさと寝室に逃げてしまった。母は私のところに飛んできた。
「比叡山に行くと言ったの?」
「行く」と言った覚えはなかったが、私は目を丸くして、ただうなずいた。
「やめよし!」と母は言った。強い口調だった。私はびっくりしたが、すでに行くつもりになっていた。私なりの理由があった。

じつはこの時期、8歳の私は8歳なりに悩みを抱えていた。私には6歳年下の弟がいた。この時期に弟は2歳。当然ながら母はその世話で大変だった。私などを構う余裕があるはずがなく、また私は私で赤ちゃんの泣き声が大キライだった。「赤ちゃんというのは、昼も夜も構わずこんなに泣くものなのか」と痛感していた。ひとたび泣き声が聞こえてきたら、私の「言葉連想癖」は泡沫のように崩壊した。「……いまなにか、すてきな景色が見えていたはずなんだけど」とくやしく思いながら、1日に何度も雑記帳(それは常に数冊あった)を抱えて家の中をあちこち逃げ回った。しかしどこに逃げても泣き声は聞こえてきた。いっそ家を飛び出して比叡山まで逃げたら、赤ちゃんの泣き声など届かないに違いない。

以上の理由を、当時の私は8歳なりに真剣に訴えた。
母はなにも言わず黙って聞いていたが、私の言いたいことは理解したようだった。私がたどたどしい説明を終えると、母はポツリと言った。
「あんたはほんまに変わった子や。比叡山でお坊さんたちを見てくるのもええかもしれん。……1日でも2日でもいて、もうあかんと思ったら、すぐに帰ってきよし」

【 つづく 】


電子書籍『魔談特選2』を刊行しました。著者自身のチョイスによる5エピソードに加筆修正した完全版。専用端末の他、パソコンやスマホでもお読みいただけます。既刊『魔談特選1』とともに世界13か国のamazonで独占発売中!
魔談特選2 北野玲著

Amazonで見る

魔談特選1 北野玲著

Amazonで見る

スポンサーリンク

フォローする