エドガー・アラン・ポー【 黒猫 】(2)

【 ロマン主義 】

大学時代、私は教育学部に籍を置いていた。受講しなければならない講義は2種類あった。必修科目と選択科目だ。開講される講義の名称・曜日・時間枠、それらを網羅した白い大きな紙を床に広げた。チョコレートの箱の裏面片隅に記載されている成分表のような小さな文字を丹念に追いかけていると、「西欧文学史概論」というのがあった。
「おおっ」と私は喜んだ。本業の美術以外だったらなんでもよかったのだが、せっかく大学に入ったことだし、文学をかじるような講義も受けてみたかったのだ。

「やめとけ」
同級生たちや男子寮の先輩たちはみな「ありえない」といった顔つきで忠告してくれた。
「延々と退屈な話を聞かされるだけだ」
そのくせこうした文学系の講義を実際に受けた者はひとりもいなかった。私は「男子寮始まって以来の開拓」と笑って受講することに決めた。

実際の講義は確かに退屈な座学ではあったが、その講義中にメモしたノートは20枚ほど手元に残っている。当時の私は26穴のルーズリーフ(B5サイズ)を1冊だけ持ち歩き、全ての座学講義に使っていた。卒業後にそこに挟んでいた紙はほとんど処分したのだが、少しでも興味が持続している内容を記した紙については「後になにかの役に立つかも」という理由で残しておいた。なぜか美術史関係のメモは1枚も残っていない。整理した時点でなんの興味も残っていなかったらしい。

さて残っていた20枚ほどの「西欧文学史概論」にこのようなメモがあった。
古典主義、ロマン主義、写実主義。
この3文字がそれぞれ丸く囲まれ、トライアングルのような構成となっている。それぞれが拮抗して西欧文学の主流の座を狙ってきた、という意味なのだろう。「古典主義」の囲みからは線がピッと走り出ており、「古代ギリシア&ローマ/理性」と走り書きされている。
「ロマン主義」からピッと出た線では、「理性よりも想像、神秘」。
「写実主義」からピッと出た線では、「主観を排除。人間や社会をリアルに描写」。

面白いのは、上記メモの痕跡を眺めつつ、ロマン主義に強く惹かれていることがありありとわかることだ。ロマン主義の特長を意味する「想像」「神秘」の文字には何重にも囲みの線が走っている。教授がロマン主義の説明をしている時には、きっと熱心に聞き入っていたのだろう。「Poe」と3文字のメモがあり、「1809〜1849」と添えている。おそらく教授が黒板に記したポーのフルスペルをそのまま写すのが面倒で「Poe」とのみメモしたのだろう。
その3文字の下に「アメリカロマン派」と記し、2重の囲み線で強調し、その囲みを取り巻くように「英国ロマン派と対立」「超越主義」「ピューリタン」などなど言葉が並んでいる。

「なんと魔談で役に立ちそうじゃないか」と私は笑った。「黒猫」を語るにあたり、この「アメリカロマン派」というのはなにか。大いに調べて述べていきたい。

【 告白文学 】

さて本題。「黒猫」。
もうこのタイトルを見ただけで「猫を殺す話でしょ。奥さんも殺す話でしょ。なんでそんなおぞましい話をわざわざ私が聞かなきゃならないのよ!」とドン引きの女性が多いに違いない。誠にごもっとも。
魔談はもともと読者敬遠の「ホテル暴風雨」最悪のお荷物連載で、風木さんから「そろそろ打ち切りにしましょうか」と通告が来るのを今週か来週かと怯えつつ2016年4月からかれこれ7年と5ヶ月も続けているのだが、今回の「黒猫」でいよいよ読者ドンビキ、どころか風木さんのところに「あのおぞましい魔談を連載から削除してください」というメールが殺到するかもしれない。
ことほど左様に、「黒猫」はおぞましい話なのだ。

この話はこんなふうに始まる。

私がこれから書こうとしているきわめて奇怪な、またきわめて素朴な物語については、自分はそれを信じてもらえるとも思わないし、そう願いもしない。(佐々木直次郎 訳)

「ああなるほど、告白文学ね」とあなたはいま思ったかもしれない。そのとおり。
「ねえ、ちょっと聞いてくださいよ、私がやっちまったこと」といった出だしだ。この手の小説は多い。魔談でも以前に取り上げた「痴人の愛」(谷崎潤一郎)もまさにそうだ。

私はこれから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私たちの夫婦の間柄について、できるだけ正直に、ざっくばらんに、ありのままの事実を書いてみようと思います。

こうした語り始めについてあなたはどう思うだろうか。「ふん、見えすいた手段よね」と思いつつその時点でやめてしまう人はまずいないだろう。我々は(程度の差はあるにせよ)他人の失敗、他人の不幸、他人の破局を聞きたい心理があるのかもしれない。

【 つづく 】


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