コロナ禍日本の、今の今を描く問題作「茜色に焼かれる」

一部の映画ファンの間で賛否分かれて話題になっているのが日本映画の「茜色に焼かれる」だ。
主演の尾野真千子が熱演しているという情報だけで見たのだが、これは何というか、今の日本の格差社会のほとんど底辺を生きるシングルマザーの不幸と過酷な生を描く映画であり、その連続がちょっとイヤになるほど。自分の映画観として、「映画は絶望を描いても一筋の希望の光があるべきだ」というものがあり、それに相いれない。
しかし、その尾野真千子の演技と息子の中学生の存在とが中々良くて、自分の気持ちの中で否定と肯定が混交しながら、映画を見続けることになった。

「茜色に焼かれる」監督:石井裕也 出演:尾野真千子 和田庵 オダギリジョー 永瀬正敏ほか

監督:石井裕也 出演:尾野真千子 和田庵 オダギリジョー ほか

映画の内容に関係ないが、登場人物が全てマスクをしている!(初めてスクリーンで見た)即ち、今のコロナ時代の話なのだ。脚本・監督の石井裕也は、昨年この映画の脚本を書き、撮りあげている。

埼玉県中部の町の公営団地に暮らす中年のシングルマザー尾野真千子は、7年前に交通事故で夫を殺されている。「殺された」というのは、夫を車ではねた加害者が高級官僚で有罪を免れたから(現実に起きた、「上級国民」と呼ばれる高齢者による池袋の交通事故と重なる)。
彼女は渋谷のフーゾク店で働き、花屋でもバイトをする。しかし、花屋では理不尽な派遣切りに合ってしまう。中学生の一人息子は上級生からイジメを受けている。フーゾク店の若い同僚はリストカットを行っているし、重い病気にもかかる。
もうこれ以上書かないが、他にも大変な状況がある。しかし、尾野真千子は絶望するでもなく「まあ、がんばらなくちゃ」と何度も口にする(これをどう判断するか迷うが、ラスト近くで、彼女の真意が分かる)。
死んだ旦那はオダギリジョーが演じるのだが、売れないロックンローラーで読書家だ。台詞は一言もないのだが、魅力的に映る。部屋には彼の蔵書がズラリと並ぶ。

シナリオはものすごく荒っぽくて、いい加減なところが多い(例えば、尾野が同級生に近づく気持ちがよく分らない)。
そんな気持ちで見ていると、ラスト近く、夕日が茜色に染まる中、川岸の道を親子で自転車に乗っていくシーンがある。この時、息子が母親に掛ける言葉にグッと来た。息子の気持ちに共感した(詳細に書けなくて申し訳ない)。
その後、若い頃アングラ演劇をやっていた尾野が、認知症で入院している義父のために、演劇と言うかパフォーマンスをするシーンが続く(団地の部屋で演じ、それをビデオに撮って義父に見せるのだ)。
これが、圧巻であった。自らを「女豹」だと名乗り、これまでずっと押し殺して、ほとんど表してこなかった夫への想いを噴出させる。ここがいい。このシーンで、この映画の欠点も許したいと思った。夫への想いとは何か。書いてしまうと凡俗だが、「愛しちゃった」から、今の生き方を自分の意志で続けているということなのだ。それは、夫が死んでも狂おしい愛なのだ。どんな時代でも、「愛」こそが生きるエネルギーなのだ。

偶々、テレビを見ていたら、この映画の舞台挨拶で、尾野真千子は、「命がけで撮りました」と発言した。そう、フーゾク嬢の役では、隠微な雰囲気の、狭く密な空間で客の男とハダカで、マスクを外して体を密着するシーンを何度も演じている。コロナに感染するかもしれず、驚くべき女優魂ではないか(いや、見方によっては無謀だったかもしれない)。

好きな映画をもう一本!

萌の朱雀

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尾野真千子が映画にデビューしたのは、1997年、河瀨直美監督の第一回作品「萌の朱雀」だった。奈良県吉野郡の、過疎と言っていい山の中の村に暮らす家族の物語で、尾野は、娘役を中学生の時に演じている。地元でスカウトされたのである。あれから、20数年、いい女優さんになったなあと思う。
実はストーリーはあらかた忘れてしまった。しかし、周りが山々の連なりである、自然風景の描写が強く印象に残っている。
また、やがて行方不明になる父親を演じた、当時まだ無名だった國村隼を覚えたのもこの作品だった。山道で人に会うといつも深々と頭を下げるところに、この人物の丁寧で律儀な人間性を感じたものだ。

河瀬監督はこの作品で、カンヌ映画祭カメラ・ドール賞(新人監督賞)を受賞した。彼女は、開催に突入していく今年のオリンピック・パラリンピックの記録映画の監督を担っている。一体、どんな作品を、どう撮るのだろうか。

(by 新村豊三)

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