「盆栽」との出会い、覚えていますか?
今回は盆栽との最初の出会い方について考えます。ですが、その前に、新しい登場人物(猫)を紹介しましょう。「庭ねこ」です。庭で遊ぶのが大好き。庭の見える窓辺で日向ぼっこも最高。今日も部屋の窓から庭を眺めてご満悦、でしたが……
盆栽フクロウと庭ねこ 出会い編
庭ねこに続き「盆栽フクロウ」も登場です。何年か前にこの「盆栽フクロウ」を描き始めたことが、私が盆栽好きになった最も大きなきっかけです。
庭ねこと盆栽フクロウは今後も時々登場します。ふたりの邂逅が何を引き起こすのか、ご期待ください。
さて、庭ねこはドラマチックに盆栽と出会いましたが、一般に「盆栽との出会い」とはどんなものでしょうか。
人はどうやって盆栽と出会うのか
「庭ねこ」のように、盆栽と衝撃的な出会いをするのはレアケースではないでしょうか。
(※「頭にのってるのは何か?」の前に、庭にフクロウが来たとかフクロウがなぜ頭に何か乗せているんだとか、他に気になることがあるのでは? というご指摘はもっともですが、庭ねこはそういう猫。盆栽フクロウについてはまた別の機会に少しずつお話します)
思うに、大抵の人は盆栽とのファーストコンタクトなど覚えていません。少なくとも私はそうです。覚えてはいないものの、最初に出会ったのは盆栽の実物ではなく、人の話に出て来たりフィクションに描かれた盆栽だった可能性が非常に高いとは言えます。幼い頃に実物の盆栽など身のまわりになかったからです。
テレビアニメ界のThat’s 日本のおじいさん、「サザエさん」の「波平さん」の趣味の一つが盆栽でしたし、「オバケのQ太郎」「ドラえもん」に登場するThat’s 昭和のカミナリオヤジ、「かみなりさん」も盆栽好き。おそらく私の「盆栽とのファーストコンタクト」はこれらテレビアニメのどれかでしょう。ですが、「あのシーンで盆栽を初めて見て以来忘れられない」などということは起こらず、ボール遊びで盆栽の鉢を壊され大激怒、という場面を何度も見るうちに、何となく盆栽というありがたい茶碗みたいな鉢に変な形の木を植える文化が世の中にあり、気難しいお爺さんが趣味にしがちだと学習した程度のことです。
おかげで、つまらない話を延々する老人を見ると、「そんなに暇ならしゃべってないで盆栽でもやればいいのに」という思いを禁じ得ないという、盆栽へのリスペクトにいささか欠けた子供になりました。あれから幾星霜、つまらない長話を人に聞かせるのは悪行だとの思いは今も変わらないどころか強くなる一方なので、話のつまらない人へのリスペクトの欠如を特に反省する気はなく、むしろ「話がつまらないという病気を盆栽の力で癒そうとするとは何と天使のように優しい子供だったんだろう」と記憶を改竄し自己評価を上げかねない勢いです。
しかし考えてみると、何度言ってもその辺の子供が自宅の庭に頻繁にボールを投げ込み、大事に育てた盆栽を倒し、枝を折り鉢を割る、というエクストリームな環境では気難しくなるどころか心を病んでも無理からぬというもの、実にお気の毒です。現実世界がそれほどワイルドな無法地帯ならば、うかつに盆栽をすすめたら長話に愚痴が加わってより大変なことになりそうですが、実際にはそこまで破壊力のあるホームランが庭に次々と放たれるということもありますまい。コロナで外出も長話もままならない今、つまんない話なんかより盆栽、ぜひおすすめしたい。
さて本題、ほとんどの人が詳細を覚えていないと推測される「盆栽との出会い」ですが、大きく二つに分かれるのではないでしょうか。
自分が二つのどちらに属するかは、見当がつくことでしょう。二つの分類とはすなわち、「リアル派」と「バーチャル派」です。
盆栽リアル派 VS 盆栽バーチャル派
といってももちろん、リアルな盆栽を育てるのが好きか、バーチャル空間での盆栽育てゲームが好きか、などという話ではありません。
「最初に出会った盆栽」が、盆栽の実物だった人と、私のように人の話、本やTVアニメなどのフィクションの中の盆栽だった人とがいると思うのです。前者に属するのは「物心ついた頃には身近に盆栽があった人」つまり、盆栽が好きで育てている人が身近にいた人。盆栽リアル派とは、英才教育を受けた盆栽エリートと言っていいでしょう。
盆栽との出会いに関してリアル派とバーチャル派の比率がどれくらいなのか、見当がつきません。体感としては、8割くらいバーチャル派では? ですが、それは単に自分がそっちだったから。大幅にバイアスがかかっているおそれがあります。日本に住んでいれば盆栽との出会いは幼少期に訪れるでしょう。私もそうでした。ですが、子供の頃に学校の友達と盆栽の話なんかしませんから、もしもタイムマシンに乗って当時気心の知れていたつもりの友達に盆栽について聞いてみたとして、「盆栽ってよく知らないけどマンガとかには出てくるよね?」という「バーチャル派」と思いきや、おじいちゃんが盆栽を数百鉢所有する、血に樹液でも入っていそうなサラブレットで、「よく知らないしやったことはないけど、そろそろ松の針金かけをする季節なんだよね?」などと軽く言い放つバリバリの「リアル派」だった、という可能性は十分にあります。
盆栽好きになる前は注意していませんでしたが、その辺を歩くだけで人家の庭先やベランダ、塀の上などによく盆栽が置いてあるのに出会います。これだけリアル盆栽があるということは、物心つくかつかないかという子供が近くにいれば、目にしたり触れ合ったりする機会もあるはず。意外とリアル派は多いのでしょうか。
今後、隙を見て友人知人にリサーチしていこうと思います。そしてリアル派・バーチャル派それぞれのありようも、もう少し調査してみたい。
ところで、リアル派を「エリート」「サラブレット」と表現した前言を早くも翻しますが、幼少時に実物の盆栽に触れた経験があるからといって必ずしも盆栽好きになるとは限らず、実物の盆栽との遭遇が必ずしも幸せな記憶とも限りません。リアル派だが家に盆栽があったのではなく、ビッグなホームランをよその家の庭に打ち込んで盆栽を壊し、閻魔大王みたいなお爺さんに泣くほど怒られたのが初遭遇、というトラウマティックな勇者もいるかもしれない。しかしその後憎しみのあまり九百九十九鉢の盆栽を破壊したものの、大きな橋の上で伝説の盆栽を壊そうとして壊せず改心し、盆栽の道に入るという、盆栽界の弁慶になったかもしれない。それはそれで夢が広がります。
現在、日本文化のわかりやすいアイコンの一つである「盆栽」。しかし「寿司」「富士山」などに比べると、同じ日本育ちの人の間でも、出会い方や親しみ方にものすごく差がありそうです。「忍者」みたいな、実質誰もよく知らないゆえのファンタジックさ。一方、「味噌汁」みたいな、身近にいくらでもある日常感。両方を併せ持つのが盆栽であり、それが盆栽を、つかめそうでつかみどころのない、何ともミステリアスな存在にしているのです。
さてあなたは、リアル派ですか、バーチャル派ですか?
ちなみに私は、生半可なバーチャル派ではないことについ先ほど気づきました。先述した、私が盆栽好きになった最大のきっかけが「盆栽フクロウを描き始めたから」という点、普通は順序が逆ではと言われそうなところです。「盆栽が好きだからフクロウの頭に乗せて絵にしてみた」じゃ、ないのです。「フクロウが頭に乗せた絵を描いてるうちに妙に好きになってきた」です。いわば筋金入り、骨の髄までバーチャル派。
<今日の盆栽メモ>盆栽県埼玉に住む盆栽少女の盆栽漫画
『雨天の盆栽』(つるかめ作 / マッグガーデン)紙書籍と電子書籍あり
漫画に描かれた盆栽がいつも老人に愛でられ子供に破壊される、ミステリで言う被害者みたいな役どころなわけはない。
こちらは盆栽が主役の漫画。といっても人間の主役もいて、それが女子高校生「楓」と「雨天」。表紙に描かれているのが盆栽少女「雨天」。名前といい、頭に盆栽乗せてるところといい並々ならぬ親近感を覚える(のは私だけか)が、この雨天、実家は盆栽町にある盆栽園で、幼い頃から盆栽大好き、盆栽のこと以外眼中にないという盆栽エリート。かたや同級生の楓は、これといって打ち込むものもなく周りに流されやすい性格。自分とは対照的に盆栽一筋、校内でも孤高を保つ雨天(と盆栽)に興味を持ち、仲良くなろうとする。つまり盆栽どシロウトの楓視点で、盆栽の魅力と雨天という少女の魅力がオーバーラップされて描かれるという構図。絵は個性的でかわいく、全体にコミカルなテイストで盆栽の解説もわかりやすく、楽しい。2巻まで刊行。
雨天の家のある「盆栽町」について補足説明。『翔んで埼玉』(©️魔夜峰央)で壮大にディスられるも大喜びしてその懐の深さを全国に知らしめた埼玉県だが、盆栽界では無二の輝きを放つ盆栽県として知られている。埼玉県さいたま市には盆栽園が軒を連ねる「盆栽町」という名の町が実在し(エリアの呼称としては「大宮盆栽村」という古い名前が引き続き使われている)、近くには「大宮盆栽美術館」もある。1989年に第一回世界盆栽大会(四年に一度行われる世界的盆栽イベント)が開催されたのも埼玉県大宮市(現さいたま市)。
(香川県をはじめ、「盆栽県」は他にもまだある)
大宮盆栽美術館は盆栽の歴史や鑑賞法について学べ、盆栽もたくさんある楽しい美術館。あれこれ紹介したいところだがまたの機会にして、とりあえず写真を一枚載せます(撮影可能な盆栽が多数あるのも嬉しいポイント)。
最後までおつきあいありがとうございます。
次回「盆栽はじめの一手」でぜひまた、お会いしましょう。
(by 斎藤雨梟)
ご意見・ご感想・盆栽への熱い想いや作者へのメッセージは、こちらのコンタクトフォームからお待ちしております。