10を超えれば生まれる、だいじなあまりもの

ホテル暴風雨10周年を記念した、森と灯台を背景に、蔓植物でレタリングされた「10」が浮かんでいる絵

10周年ありがとうございます illustration by Ukyo SAITO ©斎藤雨梟

魅惑の11

10という数は十進法の世界で生きる者にとって重要なユニットであり、恐らくそれは標準的な両手の指の数であるところから来ているのでしょう。

10といえば何を連想しますか。

私は、11という数を即座に連想します。

なんだそりゃ、1といえば2、2といえば3か?

という困惑とお怒りはごもっともなのですがまあ聞いてください。11はとても魅惑的な数で、それは主に10のおかげなのですから。

10はキリが良い数なので、10より少ない数は1ユニット未満の半人前扱いなこともあれば、逆に単独で非常に大きな存在感を誇りもします。たとえば、1は大事な単位、2はペア、3ならばトリオや三羽烏、4は四天王、5は五大**……といったように。「10」そのものも言わずもがな。ゆえに、数というものには、10を超えてはじめて「半端な余り物」「端数」という概念が生じるのではないでしょうか。

そして10を超えて「あまりもの」を持つ最初の整数といえば11でして、この11という数の魅力に取り憑かれているのは何も私だけではありません。たとえば井上陽水の楽曲「イレブン」。

恋とは全部の指輪を指にはめたあまりもの 

「イレブン」(作詞・作曲/井上陽水)より

なんでしょうこの、しびれるようにすばらしいフレーズ。
最初にこの歌を聴いた時、指輪は全部で11個あって1個余ると決めつけていましたが、考えてみればそうとも限りません。1本の指につき指輪を1個とは限らないので、30個の指輪を無理やり重ね付けして5個余っているのかもしれないし、指輪は3個で、どの指にもはまらない1個があるかもしれません。

要は「余る」もの。指輪でありながら指にはめきれない、用途のない、合理的でないもの。でも大事なもの。それが恋だとうたうこの歌は、役に立たない不要不急のものへの愛しさが溢れています。それが小さすぎてどの指にもはまらないおもちゃの指輪でも、重すぎて装飾的すぎるダイヤモンドの指輪でも。たぶん。

とはいえ、タイトルは「11」ですから、やはり指輪(これが何を意味するのかは解釈の分かれるところでしょうが)の数が10を超えたあたりに生じる機微を歌っているように思えます。年数や年齢と考えてもわりと自然です。10年以上経ってわかることだとか、11歳の初恋とか。両手の指で数えられなくなってからが本番なのです。

もうひとつ魅惑の11を。

津原泰水著 『11(イレブン)』

11作からなる短編集ですが、こちらも短編の数だけを表しているはずはありません。あまりもの、素数、わりきれなさ、鋭利さ、忘れられないもの。11という数字そのものを思わせる魅力を放つ小説です。文章によって心の表面をそっと撫でられて、心の中の決して隠されてはいない部分に、こんなにも無防備で鋭敏なところがあったのかと気づかされる。ことに戦時のとある非血縁家族を描いた異色SF『五色の船』はすばらしい。漫画(『五色の船』近藤ようこ・漫画/津原泰水・原作)にもなっています。見世物小屋の一座である家族が「くだん」を買いに行くという突飛なお話に1ページ目から引き込まれます。この『五色の船』も、要らないはずが捨てられないもの、非合理なものへの愛が存分に描かれた、この上なく美しい物語です。

10歳の思い出

さて、私には10歳前夜の鮮明な思い出があります。明日は誕生日という日、今は亡き母が何の気なく「年が1桁なのは今日が最後ね」と言いました。私は何かものすごく重要なことが起ころうとしていること、それがもう取り返しがつかないということに足元をすくわれる心地がして、「どうしよう」と思ったものです。1桁なのは今日が最後か、もうちょっと早く気がつけばよかった! てな具合にです。

しかしすぐに冷静になりました。いやちょっと待て、年が2桁だと何がどうだというのか。10歳ならギリギリ全部の指で年を表せるし、だいたい「いくつですか」と聞かれて指を出すジェスチャーで答えるなんて幼稚園児止まりなんだし、年齢を書くのに一文字で済んでたのが二文字書かなきゃいけないけどそんなに大したことだろうか? などなど、9歳児なりにあれこれ考えた結果、

結論:大したことじゃない

と落ち着き、桁数問題に思い悩むのをやめ、それきり忘れてしまいました。しかしあれから長い年月が経ってもこのエピソードを覚えているのですから、それなりのインパクトがあったのでしょう。母が今いれば「そんなことよりもっといいこと覚えておけばいいのに」と言うでしょうが、これも人生におけるあまりものの妙というもの。このエピソードを9歳から10歳にかけての私がすぐに忘れてしまったのは、「あまりもの」の含蓄がまだわかっていなかったからで、10歳を超えてそれがわかるようになったからこそずっと覚えているのかもしれません。

現在、人口ピラミッドの形が大きく変化していると言われますが、人口の大多数の人の年齢が2桁なのは間違いないでしょう。1桁や3桁はかなりレアです。4桁となると人間には無理で、少数の植物のみがたどり着ける高みです。

とすると、年齢がもうすぐ2桁になるのは意外と大したことだったようです。9年までと10年は違う。なぜならば10年を超えてはじめて何かがあまるから。そしてネクストステージ100年となると端数など吹っ飛ぶほどのインパクトですが、選ばれしもののみが辿り着ける聖地のようなところですね、もはや。

ホテル暴風雨、10周年

というわけで今お読みいただいている記事の発信元であるホテル型webマガジン「ホテル暴風雨」は10周年を迎えました。創設からの年数が1桁なのは昨日までだったというのにうっかりその貴重さに気づかず、10歳児の過ちを繰り返してしまった私です。ですが10年を迎えられたにはご愛読くださっているみなさま、連載をしてくださる長期滞在のお客様のおかげです。心より感謝申し上げます。

ホテル暴風雨という名称は、どんな暴風雨の中にあってもひととき滞在し、明日への英気を養える場でありたいと願ってつけたものです。11年目を迎えた今、加えて、この世界のよき「あまりもの」でありたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

はじめましての方に今更ながらご挨拶。ホテル暴風雨「オーナー雨」こと斎藤雨梟(さいとう うきょう)と申します。イラストレーター・画家としてweb、書籍、展示活動などで絵を発表し、もう一人の「風オーナー」こと風木一人と共に、サイトの運営とコンテンツ作りをしています。

ホテル暴風雨はホテル型webマガジン。長期滞在のお客様方が、それぞれのお部屋で漫画・小説・エッセイなどを発表してくださっています。のんびりした更新と量ですが、これは面白い、読者の方にぜひ届けたいという自信のある選りすぐりのコンテンツばかり。今日ここでお会いできたのも何かのご縁、宿泊無料、「心しか泊まれないホテル」ことホテル暴風雨へ、またいつでもお越しください。お待ちしております!

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