さっき、どうして気づかなかったんだろう。
延段の石を、最近組み替えた跡がある。橋をかけたときに、いくつかの石を芝生側に移動したのだ。
その、芝生をはがして埋めた石のひとつが、ぽこぽこ動いている。
そうっと、そこへ近づいた。しばらく観察したが、危険な気配はない。ぼくは道具カゴから先の丸い移植ゴテを取り出し、動いている石を除けた。それから、少しずつ土をかき分けていった。
いくらも掘らないうちに、ごつごつした背中があらわれた。
「やあ、こんちは」
声をかけると、土と同じ色をした蝦蟇は、もそもそと体を揺すった。
ゆっくり穴から這い出ると、しばらく眠そうにじっとしていたが、やがて、庭の隅へ向かって歩き出した。
蝦蟇の後ろ姿を見送りながら、ぼくは首をひねった。たしかに、蝦蟇は年月を経て巨大になると霊力を持つ。だけど、あれはただのカエルじゃないか。肩こりと関係あるだろうか?
とりあえず、蝦蟇が出たあとを埋め戻しておこうと思って、穴の中をのぞきこんだ。
「?」
穴の底に、何かが埋まっているようだ。
手を伸ばして、土を掻く。固くて平べったいものが触れる。
さらに土を除けると、何か文字が書いてあるのがわかった。
そうか。
ぼくは、それを掘り出した。表面についている泥を手箒で払って、道具カゴに入れた。
縁側に戻ると、夫人がお茶の用意をして待っていた。さっきとは打って変わって晴れやかな表情だ。猫はどこかに行っていた。
「ああ、すっかり良くなりましたよ。目はスッキリしたし、肩も軽くなりました。ありがとう。どうぞ休んでくださいな」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」ぼくは水道で手を洗ってから、縁側に腰掛けた。「ヒメシャラに飛毒がわいていたので退治しておきました。だから今は大丈夫だけど、なるべくこまめに剪定して、風通しをよくするようにしてください」
「あらまあ、そうでしたか。わかりました」
夫人は紅茶を淹れながら、ひどく感心したように相槌を打った。上品なのに素朴さがあふれる、夫人のそういう感じが、ぼくは好きだった。
「それから、橋をかけたときに石を動かしたでしょう。その下に、これがありました」
ぼくは、道具カゴから取り出したものを、手ぬぐいに乗せて差し出した。
夫人は、ぼくに紅茶をすすめたその手で、それを受けとった。
ちょうど手のひらに乗るくらいの、丸い缶。赤錆が浮いた黄色い地に「飴」という文字が読める。
「小さな蝦蟇が守っていました。だけど、自分が何を守っているのか、ずっと忘れていたんでしょう。それが、頭の上に石を乗せられて、目が覚めた」
夫人が缶のふたを開けるのを、ぼくも見ていた。
長いこと土の中にあったにしては、ふたはかんたんにあいた。
中には、じつにこまごましたものが入っていた。
ビー玉。ゴムでできたムカデ。歯車。豆電球。オレンジ色のスーパーカー消しゴム。特撮ヒーローのメンコ。イルカが刻印されたメダル。
……それは、男の子の宝箱だった。
「蝦蟇は、ご主人の『おさなごころ』の化身だったんです。ずっと忘れていた宝箱の存在を今になって思い出して、あなたに伝えようとサインを出した。肩こりです」
ぼくがしゃべるあいだ、夫人はそれらの品をひとつひとつ取り出して、しげしげと眺めていた。
やがて、夫人の喉の奥から、ひゅう、というような、ため息ともなんともつかない音が漏れた。さらにしばらくして、言葉が少しずつ出てきた。
「あの人は、この家で育ったの。小さな頃から丹精して、私がお嫁に来たときには、それは素晴らしい庭を作り上げていました。伝統に従って、あの人はそれまで残しておいた敷地の半分を私にくれました。私は両親にもらった苗をそこに植え、私の庭を育てました」
夫人はそこではっとして、ほおに手を当てた。
「いやだわ、私、こんなつまらない話」
「いいえ」ぼくは静かに言った。「つまらない話なんかありません。庭の物語は、ひとつひとつが特別なものです」
何か珍しいものでも見るような夫人の視線に気づいて、ぼくはあわてて調子を変えた。
「なんてね。ご主人の品が見つかって、よかったですね」
ぼくは、夫人の孫ぐらいの年齢だ。説教くさいセリフを吐いてしまったことが恥ずかしかった。
夫人は顔をほころばせ、鉢に盛られたマフィンを手で示した。
「これ、昨日焼いたの。去年摘んで、冷凍しておいたブルーベリーを入れてみたのよ。よかったらどうぞ」
「わあっ、じつはさっきから気になってたんです。いっただっきまーっす」
ぼくはマフィンをほおばった。
「おいしーい」
「そう、よかったわ。もっと食べてちょうだい。残したってしようがないもの」
「ありがとうございます。ほんとにおいしいです!」
しっとりした生地に甘酸っぱいブルーベリーが練りこまれたマフィンは、まさに絶品だった。
蝦蟇のやつ、どこかから見て、うらやましがっているかな。
庭には、光があふれている。
(by 芳納珪)
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