なにわぶし論語論第51回「何ぞ以って臧しとするに足らん」

子曰く、敝(やぶ)れたる慍袍(おんぼう)を衣(き)、狐貉(こかく)を衣る者と立ちて、恥じざる者は、其(そ)れ由か。忮(そこ)なわず求めず、何を用(もっ)て臧(よ)からざらんとあり、と。子路、終身之を誦す。子曰く、是の道や、何ぞ以って臧しとするに足らん、と。(子罕 二十七)

――――孔子が言われた。「破れた綿入を着て、毛皮を着た人と並んでいても恥じないでいられる者は、由(子路の本名)くらいかな。詩にも『ねたまず、欲しがらず。それで良いではないか』とある(が、まさにその通りだ)。」
子路は感激し、この言葉を生涯暗唱した。(その様子を見て)孔子は言われた。「人の道を求めるものにとって、『これでよし』などということはないのだ。」――――

久々に、孔子と子路の漫才である。とかく説教くさい論語に、ささやかではあるが笑いを付け加えてくれる、子路は孔子の弟子の中でも貴重な人材である。

富裕を追求したり財産を鼻にかけたりしないこと、貧乏を恥じないことを、孔子は常々弟子たちに説いている。そうは言っても、なかなか簡単にできることではない。とくに、自分が貧乏でありながら、自負心を保つのは難しい。
論語の中には「貧にして怨むなきは、難し。富みて驕るなきは、易し」(憲問 十)という言葉もあるが、これは、貧しい少年時代を過ごした孔子の体験に基づく言葉であろう。

その孔子が、数多い弟子の中でも特に子路を名指しして、彼ならば、たとえ貧しくてみすぼらしい姿をしていても、富貴な人々の前で堂々としていられるだろうと言っているのだ。子路が有頂天になったのも、まあ、仕方ないといえば仕方ないことである。
だが、単細胞の(失礼!)子路は、例によってはしゃぎすぎてしまったようである。「終身之を誦す」とあるが、ひとりで誦していただけではなく、他の弟子に自慢して回ったのではないだろうか。そのため孔子は後から「それだけでいいと思うなよ」と、(おそらくため息をつきながら)付け加えることになってしまったのだろう。
弟子を褒めるのも、加減が難しい。君子はつらいのである。

(by みやち)

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