【 警鐘魔談 】魔の点滅(1)

今回から数回にわたり、「警鐘魔談」をやってみたい。
「警鐘魔談」とはなにか。我々がごく普通にあたりまえのように、日常的な瑣末な不平不満は多々あるものの、それでも平穏無事に暮らしているのは誠にありがたいことである。全世界の人間を広く見渡してみると、我々日本人はいかに恵まれた環境で毎日を送っているか、いまさらここで強調するまでもないだろう。朝に起き出してきて蛇口をひねると、お湯が出る。そのことだけでも驚嘆し、羨望の目で見る人々がこの地球上には何千万人もいるのだ。

しかしそのように最先端の文明利器を存分に享受できるその一方で、「どうもなにか妙だ」「どこかしら気にいらない」といった奇妙な違和感や不安感を抱いてしまうような利器が我々の周囲にじわじわと増え続けていることも事実である。果たしてそれはじつに巧妙に隠された「魔」なのか、あるいはいつしか「魔」を帯びてしまったものなのか、それとも筆者のみが「これは魔だ」と騒いでいるだけのことなのか、ぜひこの機会に筆者とともに考えていただきたい。その結果、あなたの生活が明日から微妙に変化する可能性もあることを、急ぎ付け加えておこうと思う。

さて本題。まずは今回提示した4点の写真を御覧いただきたい。筆者がなにを問題にしようとしているのか、おおよその察しがついた人も多いのではないだろうか。もちろん「なにが言いたいのかさっぱりわからない」という人も御安心いただきたい。「警鐘魔談」は少々マニアックな話になるかもしれないが、筆者は可能な限りくどく、わかりやすく、したがって存分に怖がっていただけるように腐心して説明する意欲でいる。「理解できない話に魔はない」というのが筆者の持論である。また「警鐘魔談」は怪しげな都市伝説の受け売りなどではなく、筆者自身が体験し、あるいは真剣に憂慮している事実に基づいていることも付記しておきたい。

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さて写真と言えば、通常は「現実を写しとったもの」という認識が普通だ。しかし状況によっては、つまり撮影意図によっては「現実ではない写真」を撮影することもできる。
たとえば上段の写真2点。筆者は大きな街のホテルに泊まる機会があると、夜の撮影に出かける。あるいは外で一杯やった後のホロ酔い気分で夜の大都会をさまよい、このような写真を撮るのが好きである。
難しいテクニックを誇示しているわけではない。要するにシャッタースピードをスローシャッター(1/2秒あたり)に設定し、わざとカメラをスッと横に(あるいは斜めに)滑らせて撮影するのだ。するとこのように点灯している光源は「点」から「線」となる。うまく行けば、じつに美しい「光の軌跡」を捉えた画像をものにすることができる。夜間撮影でもあり、どこかせつない、ちょっとロマンティックなムードの画像を得た時の喜びは大きい。
筆者は11年前からこの撮影方法を楽しんでいる。つまり11年間やってきて、今だに飽きない。クリスマス・イルミネーションの季節が特にチャンスである。ぜひお試しありたい。

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ところが……最近はこうなのだ。
下段の写真2点を御覧いただきたい。この画像を見た筆者の失望がお分かりいただけるだろうか。美しい曲線であるべき「光の軌跡」はズタズタに分断された点線と化している。最近はどこの大都会に行ってもこうなのだ。なぜこうなってしまうのか。犯人はLED光源である。LED光源は、じつは高速で点滅を繰り返しているのだ。
「そんなの気がつかないからいいじゃん」といまあなたは思ったかもしれない。しかし筆者は「気がつかないからいい」とは思っていない。むしろ「気がつかないから怖い」と恐れている。……というのも、「気がつく/気がつかない」は「意識の上で察知するかどうか」ということであって、じつは我々の無意識はこの点滅を察知している可能性が十分にあるのだ。それがどのように我々の心と行動に影響を及ぼすのか、次回で存分に語り、真剣に怖がっていただきたいと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・…( つづく )